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mikiの幕末・明治史跡めぐり帳 「篤姫は陸路で上京!? 」

2021年11月01日 15:19 by minnycat

篤姫は陸路で上京!

 年間平均視聴率 24.12% をとっていた大河ドラマ 「 篤姫 」 。 一方で、私がこれまで見てきた 大河ドラマの中で1番熱く燃えた 「 新選組! 」 は、 年間平均 17.41% ・・・。 まぁ、そこらへんは置いといて。 今回は篤姫に関することを書きます。

 私の実家の新聞は 『 西日本新聞 』 です。 連載記事 「 ちくご探偵団 」 で篤姫に関することが書かれていたので それをご紹介したいと思います。 大河ドラマ 「 篤姫 」 中のシーンで、篤姫が薩摩から京都を経由して江戸へと 船で向かった向かったシーンを覚えてらっしゃいますか? 航海が篤姫の前途を暗示させるような印象的なシーンだったと思います。 しかし、記事によると実際は陸路で上京したとのことです。 まぁ、大方半分は史実通りではない大河 “ドラマ” だから別にいいのですが。 私が、今回ご紹介したいのは 陸路で向かう途中で寄った宿場町です。

  薩摩から陸路で上京するには通常、 坊津(薩摩)街道を通過するとのこと。 薩摩街道は、坊津を起点に、 鹿児島、熊本を経て筑前山家(福岡県筑紫野市)で長崎街道と合流して 小倉に至る街道で 江戸時代において島津(薩摩藩)・松井(八代藩)・相良(人吉藩) 細川(肥後藩)・立花(柳川藩)・有馬(久留米藩)などの諸侯の参勤交代の道として使われたそうです。 篤姫は その薩摩街道の宿場 福岡県筑後市 「 羽犬塚 」 に、 鹿児島をたって8日目に泊まったという説があります。 確定資料はないとのことだが、 羽犬塚の先にある筑紫野市には宿泊記録が残っているらしく そこから逆算するとここにいきつくらしいです。 筑後市には国道209号に沿う形で薩摩街道が通っています。

 当時、羽犬塚には10件以上の宿が立ち並び、 千坪以上の広さをもつ御茶屋(陣屋)と呼ばれる大名屋敷もありました。 篤姫ご一行は相当な人数だったと思われるので羽犬塚の本陣では 大部分が分宿せずに済んだみたいです。 現在の羽犬塚小学校が御茶屋跡で校門脇にプレートが建てられているそうだが、 残念ながら私はまだ未確認です。 実家から久留米市へ行く時によく通り、 羽犬塚小学校出身の友達も数人いるのですが・・・。

 ついでもって、 安政2年 小松帯刀も、島津斉彬から呼ばれて江戸へ上京するときに 羽犬塚で荷駄人夫と馬を取り換えているそうです。 小松さんに関しては当人の旅日記が残っているそうなので確定できるそうです。 他にも大久保利通や西郷隆盛なども上京する際に立ち寄っているみたいです。現在、筑後市では18世紀後半に羽犬塚で 幕府用人にふるまわれていた料理の復元作業が進められているとのこと。

 約20年前に見つかった寛政9(1797)年当時の古文書に献立が掲載されており それを基に筑後商工会議所や地元の料亭が復元作業に取り組んでいるみたいです。 もし、篤姫が羽犬塚に宿泊したのであれば、 将軍の正室となる女性にも 同様のもてなしがされたのは間違いないと。 ちなみにメニューは、 アワビ、トウガンのあえ物、コイを使ったなます、サトイモ、 卵、レンコンの煮物などで5の膳まであったそうです。

 2011年春の九州新幹線鹿児島ルート、 筑後船小屋駅開業に合わせ地元の観光名物にしようと復元されていて、 筑後商工会議所は 「鹿児島ルートが篤姫の上京ルートならば その途中で篤姫ゆかりの料理を食べるというアピールができるかも」 と期待しているらしいです。 羽犬塚の近くで九州新幹線停車駅ができる船小屋は炭酸泉の温泉もあることですし 羽犬塚ともどもたくさんの方に訪れてもらえるように がんばってほしいですね。

  ともう1つ。 羽犬塚の地名の由来に関して。 これは、豊臣秀吉に関係しているといいます。 天正15(1587)年4月、 天下統一をめざす豊臣秀吉が数万の大軍をひきいて島津征伐のため、 この地を通ったとき、連れてきていた敏しょうで羽根が生えたようによく跳ぶ愛犬が この地で敵の矢にあたり死んだので 埋めて塚を築いたそうだ。 それで、この地を羽根の生えた犬の塚という意味で 「 羽犬塚 」 と呼ぶようになったとのこと。 他にも説はあるそうだが、 この秀吉説が広く親しまれています。

 郷土史って本当に面白いですよね。 郷土とは関係のないと思っていた 歴史上の大物?が思いもかけずに登場するのだから。 そのことを発見した時の興奮がクセになり 郷土史もやめられません。

 今回、参考・引用文献としたのは、 『 西日本新聞 』 中の連載記事 「 ちくご探偵団 」 に 今年3月ごろ (スクラップに月日を書きとめるのを忘れていました) に掲載された記事です。

 

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