バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…

ザ・戊辰研マガジン

2021年11月号 vol.49

日暮里からアメ横までブラ散歩

2021年11月05日 20:54 by norippe
2021年11月05日 20:54 by norippe

 緊急事態宣言も解除され、久々に東京の街に人の動きが目立ってきました。

 先日、ひょんな事から明治座のチケット3枚が手に入りました。お笑いモノマネの「コロッケ」と、もと宝塚女優の「七海ひろき」の異色組み合わせの演劇チケットでした。銀座の歌舞伎座へは行ったことはありますが、明治座はまだ行ったことがありませんでした。
 今回は酒を呑む都合もありましたので、車ではなく高速バスと電車を使っての上京となりました。

 明治座に行く前に、家族は日暮里で買い物があるということなので、一緒について行きましたが、何分、女の買い物は長い。そのあと上野御徒町で買い物をするということになり、そんなのにずっと付き合っていられないので、私は日暮里から上野公園までブラ散歩をすることにしたのです。
 天気は快晴、絶好の散歩日和でした。



 日暮里駅の北口を出ると、いきなり谷中霊園の入口階段が目の前に出現。階段を登って谷中霊園の中へ。
 谷中霊園には多くの著名人の墓がありますが、やはり谷中といったら徳川慶喜でしょう。渋沢栄一の墓もありますが、塀に囲まれ中を見ることが出来ません。
 徳川慶喜の墓は前に一度来たことがありますが、日暮里に来て慶喜の墓に立ち寄らないという話はないので、立ち寄ることにしました。







 徳川慶喜の墓の案内板は数カ所にあり、その存在感がうかがえます。やはり塀で囲われていますが、正面は鉄柵、鉄門で中が見れるようになっています。
 私が行った時は、40代くらいの男性が一人で中を覗いていました。そして帰り際、合掌、そして一礼をして立ち去りました。慶喜ファンなのでしょうね。私も彼を見習って、手を合わせ、一礼してその場を離れました。

 谷中霊園を出て上野恩賜公園方面に進み、交差点右に公衆トイレ。入るか入らないか。でもまだ大丈夫。
 この交差点の先が寛永寺。





 現在の上野公園のほぼ全域がこの寛永寺の旧境内であったとされ、最盛期には今の上野公園の2倍の面積の寺地を有していたといいいます。その規模の大きさが想像できますね。
 そしてあの彰義隊が戦った上野戦争がこの寛永寺の境内。
 この戦争で境内は焼け野原となり、現在ある中堂は川越にあった子院の喜多院の本堂を移設されたものとのことです。



 寛永寺を出てまっすぐ進むと、公園に入る途中、国際こども図書館が右に出て来ました。子供の図書館にしては洋風造りで、あまりの立派な建物に驚きです。

 その先の交差点、真っすぐ行くと上野恩賜公園に入りますが、確か左に行ったところに、江戸時代の立派な門があった事を思い出し、左に折れてみました。



 ありました。池田家江戸屋敷の表門。通称、黒門と言うそうで、重厚な門構えに圧倒されます。
 池田家江戸屋敷は因州鳥取藩の屋敷で、今の丸の内あたりに屋敷があったそうで、そこからこの場所に移設されたとのこと。江戸時代の風情を感じますね。

 黒門から先ほどの交差点に戻り、左折して上野恩賜公園へ突入。





 入って左側には東京都美術館がありました。美術館は本日休館日でした。
 広場のパチンコ玉ともボーリング玉とも思える銀の玉は何なのでしょう?ググってみたら、日本を代表する彫刻家、井上武吉による美術作品らしいです。他にも日比谷U-1ビルと勝鬨橋の近くにある「はとば公園」にもあるそうで、こども達の遊び場として人気があるらしいです。



 次に来たのが上野動物園の正門。パンダが初めて日本に来た時、この入口は人人人の行列であふれていたのを思い出します。そして左側にはスターバックス。そのそばには交番がありました。



 左側のはるか遠くに国立美術館が見えます。



 真っすぐ進むと何やら馬に乗った銅像が見えて来ました。かなり高さのある銅像なので、少し離れたところからも確認することが出来ます。
戊辰戦争の征東大将軍、小松宮彰仁親王の銅像でした。



 銅像の先を右に進むと、上野東照宮。参道にはたくさんの石灯籠があり、正面に金色の唐門が見えてきます。参道の途中には「ぼたん苑」。ダリアの花の展示会が開催されていました。





 葵の御紋が金箔で引き立つ唐門、目の前の賽銭箱にお賽銭をチャリン(札だとヒラヒラなのですが(笑))と入れて、とりあえず作法通り二礼二拍一礼。



 振り返り、左を見るとそこには神楽殿。さらに塀の先には旧東叡山寛永寺五重塔がそびえ立ち、都心にいることを忘れさせる風景であります。

 上野東照宮を出たあと、不忍の池にも行きたかったのですが、家族との待ち合わせ時間もあったので、そのまま真っすぐ進み、彰義隊の墓に行くことにしました。
 途中右側に公衆トイレあり。麦茶を片手に飲みながら歩いて来たので、そろそろ出すものを出して・・・



 彰義隊の墓は何度か来ていますが、こんな広場の真ん中に墓があるのには違和感がありました。
 ここは上野戦争の激戦地、彰義隊士の遺体の火葬場となった場所。隊士を悼みここに戦死の墓を建立したとされています。徳川慶喜の一橋藩主時代の側近であった小川一族によって、120年の間この墓が守られてきましたが、現在は歴史的記念碑として東京都が管理しているとのことです。



 彰義隊の墓の前には、西郷隆盛像。彰義隊の墓にお尻を向けて建っています。
 前からじっくり西郷像を眺めると、頭がでかいなぁ~と感じました。
 西郷像のお披露目の時、西郷どんの奥様が「うちの人はこんなんじゃなか!」と悲痛の叫び。確かに、こんな感じではないのかも知れませんね。

 西郷像を後にして、公園の階段を降り、アメ横入口に向かおうとした時、携帯の呼び出し音♪
ヨドバシカメラ前で家族と合流。そして日比谷線で人形町駅に向かったのです。

 人形町で降りて、そこから歩いて10分くらいのところに明治座はありました。若かりし頃、人形町で働いたことがありましたが、48年ぶりの人形町はすっかり様変わりしていました。



 明治座公演「令和千本桜 義経と弁慶」は涙あり笑いあり。感動の演劇とモノマネショーを満喫することが出来ました。



 そして、館内の壁に明治から平成までの明治座の歴史が展示されていました。明治座の古い歴史を感じながらまじまじと眺め、そして館の外へ出て、ふたたび夜の人形町を歩き帰路につきました。

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…