江戸時代、全国三百藩校の中でも規模・内容ともに随一と謳われたのが、会津藩校「日新館」です。五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代に、家老田中玄宰(はるなか)の「教育は百年の計にして会津藩の興隆は人材の養成にあり」との進言によって計画され5年の歳月をかけ享和3年(1803年)に鶴ヶ城の西出丸に一大学問の殿堂として完成しました。広さは東西226メートル、南北116メートル、面積8000坪、建物は1500坪ありました。幕末に飯盛山で自刃した白虎隊の少年たちも勉学はもちろんの事、「ならぬものはならぬ」の精神を学び、未来に夢をはせていました。残念ながら戊辰戦争において、焼失してしまった日新館ですが、昭和62年に会津の精神文化を後世に伝えようと別な場所に完全復元されました。
【什の掟(じゅうのおきて)】
1.年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3.虚言(うそ)を言うことはなりませぬ
4.卑怯な振舞をしてはなりませぬ
5.弱いものをいぢめてはなりませぬ
6.戸外で物を食べてはなりませぬ
7.戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬものはならぬものです。
【会津藩校日新館跡】
【会津藩校日新館跡の隣に「田中玄宰ゆかりの地」】
【会津藩校日新館の天文台跡】
会津藩校の日新館では天文学も学ばれており、そのための施設として建設されたのが、この天文台でした。日新館の建物は戊辰戦争により焼失してしまいましたが、現在、天文台跡のみがその跡地に残されています。江戸時代には全国各地で天文台が建設されましたが、現存しているものはこの日新館の天文台跡のみです。そのため、全国的にも貴重な史跡であり、さらには天文学的にも貴重なものであることから、今回の日本天文遺産認定となりました。会津藩の学問のレベルの高さがわかる素晴らしい遺構です。身震いしてしまいました。偶然にも私は高校時代に天文部に所属しておりました。何か感慨深く感じられました。
【江戸時代の会津藩校日新館】
【山本覚馬と八重の生誕の地碑※会津藩校日新館跡のすぐ近くです】
【山本覚馬】
【新島八重】
會津鶴ヶ城の西出丸の「会津藩校日新館跡」「天文台跡」「山本覚馬・八重の生誕の地碑」と遺構を巡り、会津の心に触れることができました。皆様も機会があればぜひ訪れてみては・・・。
【記者 鹿目 哲生】
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