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ザ・戊辰研マガジン

2019年08月号 vol.22

蒲生氏郷

2019年07月21日 18:58 by tetsuo-kanome
2019年07月21日 18:58 by tetsuo-kanome

 蒲生氏郷は、織田信長や豊臣秀吉に仕え、戦国時代、安土桃山時代を駆け抜けた武将でありキリシタン大名です。生地の近江日野や伊勢松坂を治め、秀吉によって会津に国替された後、会津を近世の町へと変革させる先鞭をつけた人物です。 蒲生氏郷は、かつて「会津黒川」と呼ばれていた地名を「会津若松」と改め、七層の天守閣をもつ城の改築を行い、城の名も自らの幼名「鶴千代」や蒲生家の家紋の立鶴から「鶴ヶ城」としました。 また町割や会津五街道を整備し、織田信長の楽市楽座の理念を発展させ「十楽」という制度を敷き、商人から税を徴収せず自由に商売をさせたのです。さらに会津の伝統工芸である漆器や陶器、酒造りを奨励し、多くの職人や商人が訪れました。贅を尽くした桃山文化の豪勢さ、キリシタン大名でもあり南蛮文化にも造詣が深い氏郷の影響で、会津城下はさぞや自由な賑わいを見せていたことでしょう。そして、その約400年前の「十楽」なる制度を再現した物産イベント「會津十楽」が今でも開催されております。南蛮小屋を見立てたおしゃれなデザインのブースで、物品・食品の販売・展示が行われております。

【蒲生氏郷】

【会津黒川城(七層)】

【蒲生氏郷の兜】

【会津若松市の興徳寺の蒲生氏郷の墓を訪ねる】

【松平容保公の歌碑】

【蒲生氏郷像(滋賀県日野町)】

【鶴ヶ城に展示されていた蒲生氏郷】

 

【鶴ヶ城で購入した蒲生氏郷のクリアファイル】

 

 蒲生氏郷の墓がある興福寺は、会津若松市の中心街の神明通りが入った繁華街の中に、ひっそりと佇んでおりました。

【記者 鹿目 哲生】 

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