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オノ・ヨーコのファミリーヒストリー

2019年08月03日 22:24 by norippe

 私が若かりし頃、六本木のクラブでバンドをしていた時期があった。
レパートリーは歌謡曲からロックまで幅広く演奏をしたが、なかでもビートルズの曲を奏でるのが多かった。ビートルズは大変人気のあるグループであったが、メンバーの一人であるジョン・レノンが銃弾に撃たれて亡くなった事件は衝撃的だった。


ビートルズ(左端がジョン・レノン)

 先日、NHKの「ファミリーヒストリー」という番組で、そのジョン・レノンの奥様であるオノ・ヨーコのヒストリーが放送された。
 オノ・ヨーコのルーツを探ると、曾祖母は二本松藩士の娘だったという。これには驚いた。そして、曾祖父はなんと二本松城で二本松藩と戦った岡山藩士というから二重の驚きである。更に、祖父が明治の意外な人物との交流があった事にも驚いた。

 オノ・ヨーコの父 小野英輔
 祖父 小野英二郎
 祖母 鶴
 曾祖父 税所篤人(さいしょあつと)
 曾祖母 嘉興(かよ)

 オノ・ヨーコの父方の曽祖父母、税所篤人と嘉興
 税所篤人は元岡山藩士、嘉興は二本松藩士の家に生まれた。

 二人は戊辰戦争二本松の戦いの最中に出会ったとされる。150年前、戊辰戦争二本松の戦いで、岡山藩士の税所篤人は二本松城で嘉興と出会った。嘉興の父、二本松藩士の丹羽求馬が戦場で自害し、そのそばで弟と二人ですくんでいたところに税所篤人が遭遇したのだ。


二本松城の戦い

 税所篤人はこの取り残された二人を引き取り、岡山に連れて帰ったのである。そして税所篤人は嘉興を嫁に迎えることになった。

 という話の流れであるが、これは小野家や税所家に語り継がれる言い伝えであるが、調べた内容によると、どうも話が違うようなのである。二本松藩士人名辞典には嘉興の父である丹羽求馬の名は確かに載っていた。しかし、戊辰戦争の名簿には丹羽求馬の名は載っていなかった。ということは、戊辰戦争のとき以前に丹羽求馬は亡くなっていた。

 さらに岡山大学には取り残された姉と弟を引き取ったとされる税所篤人の記録が残っていた。戊辰戦争の二本松の戦いがあった明治元年7月29日に税所篤人はどのような行動をとっていたのか、税所篤人の奉公書にはその記録があった。その記録によると、税所篤人は7月も8月も二本松には行っておらず、京都にいたという。そして、奉公書に二本松の文字が出てきたのは11月の事であった。二本松城での激しい戦いの時ではなく、戦後の処理に税所篤人は監察役として白河へ出向き、そして二本松に到着したのは12月であった。当時岡山藩は500人を超える大部隊のため、規律を守らせるというのが監査役である税所篤人の仕事であった。

 そうなると小野家、税所家に伝わる話はかなり違ってくる。
 嘉興の父、丹羽求馬が自害し、そのそばで弟と二人ですくんでいた嘉興を、税所篤人が岡山に連れて帰ったという話はフィクションであるということになる。戦いでやっつけた相手の娘を実質的に嫁にしちゃったという、そういった後ろめたいところがあり、美談として物語にしたかったのではなかろうか?と言う事だ。
 しかし嘉興と税所篤人が結婚したことには間違いはない。そして嘉興は、敵方の妻になったので福島には帰れない、両親のお墓にも行かれないと嘆いていたという。

 人から人へ語り継がれる話は、どこまで本当でどこまでが作り話なのかわからない。このように、資料を辿っていくと真相ははっきりしてくるが、美談は美談のままで残しておいて欲しいという思いも私の心の片隅にはある。

 その後、嘉興と税所篤人の間に子が生まれた。オノ・ヨーコの祖母の鶴である。そして鶴は小野英二郎と結婚するのである。

 祖父の小野英二郎と祖母の鶴の成り染めはこうであった。
 頭脳明晰な小野英二郎は、明治13年に同志社英学校に入学し、創始者の新島譲と出会うのである。


同志社大学

 そしてキリスト教の洗礼を受け、渡米して博士号を取得するのであるが、1ヶ月後に父の作十郎が亡くなり日本へ帰国。そして英二郎は恩師である新島譲に手紙を出した。
 それに対して新島譲から英二郎に宛てた手紙が同志社社史資料センターに保管されていた。新島からの手紙には、同志社が新たに作る政治経済の学校の責任者になって欲しいという、その為にドイツに留学して欲しいという内容の手紙であった。しかし、それに対して英二郎の手紙には、父が亡くなり母は病弱、更に負債も抱えているので留学は無理であるとの返事が書かれていた。その翌年の明治24年、新島譲は亡くなってしまう。そして英二郎は同志社の教授として迎えられ、その同志社で妻となる鶴という女性と出会い結婚するのである。

 そして英二郎と鶴の間に子供が生まれた。オノ・ヨーコの父の英輔である。
 そして英輔は安田財閥の娘、安田磯子と結婚し、そこへ生まれたのがオノ・ヨーコなのである。

 オノ・ヨーコの親が安田財閥であったことは知っていたが、二本松藩士や新島襄などに関わっていたことなどは知らなかった。オノ・ヨーコ自身もまったく知らなかったようで、驚きのヒストリーであった。

 ビートルズの曲の中で「イエスタディ」という曲がある。日本の音楽の教科書にも載っている曲だ。ロックやポップの域を超えた普遍性の高い名曲である。
 ビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作で、「彼女が突然、理由もなくいなくなってしまった」という歌の内容であるが、これはポール・マッカートニーが14歳の時に亡くした母を偲ぶ歌だと言われている。
 オノ・ヨーコの母は小野磯子、そしてその母は小野鶴、鶴の母は税所嘉興。母から母へDNAは引き継がれ、そして母はこの世を去っていってしまう。しかしファミリーヒストリー、家族の歴史は脈々と続く。


オノ・ヨーコと息子のショーン・レノン

(記者:関根)

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