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ザ・戊辰研マガジン

2019年08月号 vol.22

スイカとトマトの思い出

2019年08月03日 22:23 by norippe
2019年08月03日 22:23 by norippe

 市開催の地区別対抗少年ソフトボール大会は今でも続く人気の大会である。私が小学生の時に所属するチームは、市でも1位2位を争う強豪チームだった。小学校4年生から6年生が主体となったチームである。

 練習場はすぐ近くの小学校の校庭だ。校庭のまわりは民家がぎっしり並んでいて、飛球が民家の窓を突き破り、その都度頭を下げに行く事しばしば。それでも家々の人達は文句も言わず応援してくれた。

 監督は豊富な経験を持ち、何度かチームを優勝に導いた事がある監督である。練習は厳しく、ノックも容赦なく強い球を打ってくる。外野へのノックは、とても高い球を打ってきたり、ポジションの間を突いた球を打ってくるので苦労させられた。ボケ~っと突っ立っていようものなら、罵声をあびせられ容赦なく打ち込んでくる。夕方、薄暗くなるまで厳しい練習の日が続くのである。夏場の練習は、流れる汗を手ぬぐいでぬぐいながらの練習で大変きつかった。

 学校が休みの時は、朝から練習が始まる。練習は辛いが、終わったあとの楽しみがひとつあった。監督の家でのおやつタイムである。おやつと言ってもケーキやジュースが出るわけではない。
 監督の家に行くと、大きな庭の真ん中に、大きなタライが用意されている。その中には大きなスイカと大きなトマトがプカプカと浮いているのだ。当時、水道はなく井戸から水をくみ上げての生活だった。その井戸水で冷やされたスイカやトマトがぎっしり詰まっているのである。
 スイカは包丁で切って頂くが、トマトは丸のままかぶりつく。今のようなハウス栽培のトマトではなく、色も形もまちまちな路地トマトで皮も柔らかだ。手のひらが隠れる程の大きなトマトだった。冷やされたトマトの表面は水滴でキラキラと輝いている。
 大きな口を開け、ガブッ!っとかぶりつく。口の横からトマトの汁がタラリと流れ出す。ユニホームの袖でそれを拭い取る。腹を減らしているのでとても美味い。ヘタだけ残しすべて食べつくす。

 次はスイカに手を出すのであるが、どれを食べようか迷い箸状態だ。三角に切られたスイカ、どう見たって真ん中のスイカが美味そうに見える。誰もが同じで、真ん中のスイカに手を付ける。スイカはアッという間になくなった。みんな口のまわりとユニホームはスイカの汁でビショビショだ。スイカは皮の部分を残しすべて食べつくされるのだが、皮の緑の部分まで食べる奴もいた。種も取らずに食べるのもいて、食べ方は人によってまちまちであった。

 さて、地区対抗ソフトボール大会の本番、我がチームは順調に勝ち上がり、そして準決勝。同点で迎えた7回裏(ソフトボールは7回まで)2アウト2,3塁、次のバッターは私であった。ここでヒットを打てばサヨナラだ。
 監督から指示が飛んだ。私はこの準決勝ではまだ塁に出ていない。監督は代打も出さずに私をそのまま起用。
 「いいか、力を入れずに真っすぐ打て!」の一言であった。応援席からも歓声が飛ぶ。
 そして、最初の球は外角のボール球であったので、見過ごした。
 そして2球目、真ん中に入ってきた球を、監督の指示どおり真っすぐ振り抜いた。バットはボールのやや下側に当たった。ボールはセカンドの頭上に飛んで行った。セカンドはバックしながらボールを追った。しかし、ボールは更に先のセンター前まで飛んで行って地面に落ちた。サードランナーはそれを見てすかさず3塁を蹴った。そしてホームイン。さよなら勝ちであった。
 ベンチの仲間や応援席の仲間は飛び上がって喜んだ。そして、戻った私を胴上げしてくれた。監督も喜んで胴上げしてくれた。身体が宙を舞う体験は初めてだった。まるで宇宙飛行士になった気分だった。

 次の日は、いよいよ決勝戦。泣いても笑ってもこれが最後。さあ頑張ろう、相手は強打を誇るチームだ。我がチームのピッチャーは私より1歳年下の5年生。スピードが持ち味のエースである。
 試合が始まって間もなく、我がエースのスピード球をわけなく打ち返してくる相手チーム。その時私はセカンドを守っていた。投球が速いぶん、打球も早い。セカンドに飛んで来た球を私はトンネルをしてしまった。そして、どうしたことか、その球を今度はセンターもトンネル。監督が激怒。
 「セカンドは仕方ないとしても、センターが押さえないでどうする!!」相手に追加点を与えてしまった。そして監督からの伝令が走った。選手交代である。
 私が交代かと思った。ところが、交代は私ではなくピッチャーだった。えっ?じゃぁピッチャーは誰やるの?白羽の矢は私に向けられた。そう、私がピッチャーに交代だったのだ。

 強打者相手にスピード球は、打たれると長打につながる。私もピッチャーの経験はあるが、投球スピードは遅い。しかしコントロールには定評があった。
 監督の采配は当たった。私が投げる遅い球に、強打を誇る相手の打者は凡打の山。打っても内野ゴロか3塁側へのファウルボール。なんとか押さえる事が出来た。しかし最初の失点がひびき優勝を逃してしまったのだ。

 1年間の練習の成果は準優勝という結果に終わった。しかし監督も選手も悔やんでいる者はいなかった。勝つことは勿論だが、負けても精一杯力を尽くし戦ったという気持ちが心を晴々とさせてくれた。

 表彰式が終わって、いつものように全員で監督の家に行った。いつもの風景が広がっていた。庭の真ん中に大きなタライ。そしてスイカとトマトが気持ち良さそうにプカプカ浮いていた。そしてキューリも仲間入りしていた。



(記者:関根)


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