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2020年05月号 vol.31

続 会津三庭園の一つ攬勝亭が開発の危機!

2020年05月05日 23:03 by minnycat
2020年05月05日 23:03 by minnycat

 丹羽能教は、北海道警備、江戸湾警備などに功績があり 會津藩家老にのなった人で、晩年、攬勝亭の一角に庵を営み 居住した人。曽孫にあたる丹羽五郎も幼少期に 攬勝亭に居住。

 戊辰戦争では、年齢的に若く白虎隊にも 入隊できなかったという。明治 10年の西南戦争の時、 明治政府が募集した抜刀隊に参加。田原坂の激戦で功績があり、 少尉に任官したが、かねて考えていた理想郷建設のため邏卒を辞し、 北海道道に渡り、仲間と開拓に従事。丹羽村を築く。

  そこに 幼い特に住んだ攬勝亭を偲び、攬勝亭と名付けた 庭園を建設している。現在は、国の補助を受け町営となっている。 この事実からも攬勝亭は、単に商家の荒れた古い庭との認識で 開発許可を下した会津若松市文化財保護当局の判断が誤っていることは明白。 會津藩関与の庭であることの新旧の証拠が少し調べただけでも次々に出てきている。

  文化遺産の開発許可は、消滅を意味し、人に例えれば死刑判決である。 最高裁判所で死刑判決が確定したが、証拠の認定が不十分で事実誤認があったり、 無罪となる新証拠が次々と出てきた場合、再審請求をしているのに再審理しないで 死刑を執行することを認めているのに等しいと考えれば理解し易い。

  攬勝亭を守る会 は、文化庁から専門調査官を招聘して、精査を行うこと。 攬勝亭を保存活用することの二点を会津若松市長に4/24要望書を提出した。

  市長は、思いは受け止めるが、所有者(開発業者)の意向を尊重するとした。 死刑執行(開発宅地化)を認めるということである。会津若松市長の政治的英断で 買い戻すしか攬勝亭を保存活用する手立てがなく、攬勝亭の生殺与奪を握るのは 会津若松市長と仙台、郡山の開発側の意思にかかっている現状。

  それにしても、会津若松市文化財保護当局の粗末な調査不足と認識による開発許可判断は、厳しくその責任を明らかにしていく所存です。 引き続きご理解とご尽力を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

                               會津 山川健次郎 (会津 長尾修)

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