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ザ・戊辰研マガジン

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村上殿の日々徒然

2020年05月05日 23:43 by murakamidono

母の生家  

 私の母の生家の北側に古い井戸があった。この井戸は、地面を丸く堀ったのではなく。南の方から石の階段を10段くらい下がると、井戸の水かコンコンと湧き出ていた。400年も前のことであるが、この水が薬になる信じられていた。400年前、故郷集落から徒歩2時間ほどの山間集落で行者が夢を見た。「西の方へ行くと、薬になる水が湧き出ている」という夢を見た。行者は西の方へ行き、お寺を建てた。これが「医泉寺」で1600年5月12日に竣工した。この寺の名前は、上記の井戸水から生まれたらしい。  話は多少それるが、明治学院大学学長であったO先生もこの寺の檀家と思う。O先生はもともとこの地域の先生をしておられた。私の中学時代の恩師(N先生と女教師小田先生)とO先生は、冬の朝、牛の背のような道を、こぎ分けて歩まれたと小田先生から聞いた。

 江戸時代に村上藩主や藩士の袴などを織っておられたのが小田家である。場所は村上城下町の北外れの橋を渡ると直ぐの「山辺里(さべり)」という集落である。戊辰戦争時、村上藩士の妻子が、この橋を渡って逃げたと書類に残っている。小田家は昭和天皇のネクタイなどを、東京の白木屋を通して謹呈していたが、白木屋が火災にあったので途切れた。  私は子供のとき、母の生家の井戸で遊んだことがある。江戸時代、お寺は火災になった。母の生家の本家・斎藤家が広大な土地を持っており、その一角にお寺を再建した。昔の場所ではなく、私の生家の隣に建てた。大場一族の源流と貞次郎の墓はこの寺の墓地にある。  母の生家の近くに、本庄繁長の家臣の末裔の家が2軒ある。私は人の健康法については分からないが、私の母の生家の「いとこ」は、現在、90代半ばで元気である。村人も驚いている。「もしかすると、あの井戸の水か」と思うことがある。

 故郷の文化

 大切な絵や文書を、後世にも残す「掛け軸」の作り方を勉強し、ほぼできるようになった。裏打ち専用の紙も売っており、アイロンを掛ければよいので、やりやすい。  画の左右にあるスペースを「柱」といい、上下のスペースを、それぞれ「天」および「地」というそうだ。安物で「柱」や「天」作ると、変色するので要注意。変色しないのは和紙と日本画である。歴史文化に関する絵をだいぶ描いたが、すべて、掛け軸にするわけではない。

 重要と思われる絵は、掛け軸専門店にやってもらう。 結構高い。3万円ー13万円とみれば、まずは、できるが、50巾頼むと、最高650万円となるので、私にとっては、大丈夫でない。 故郷の文化―御詠歌 -  江戸時代には「西国三十三観音巡りをする」のが庶民の夢だったようです。それぞれの観音寺には和歌があります。故郷のご婦人たちは、合計三十三の和歌を暗唱します。この写真は、ご詠歌を練習している様子です。

 これを撮った時は、事前に住職とお話しし、お布施もやりました。 村人が亡くなると、ご婦人たちが一堂に集まり、大きい数珠を持ち、それを廻しながら、ご詠歌を唱和します。

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