今回の記事は、平成25年1月に行われました戊辰戦争研究会主催の「会津史跡巡行」の模様を、会員のブログから引用したものである。もう5年も経ちますが、当時はNHKの大河ドラマで「八重の桜」の放映が始まったばかりで、会津は大変盛り上がっていました。
先日の土日(平成25年1月20日)に開催されました「戊辰戦争研究会」主催の会津若松史跡巡行に参加してきました。 今回の史跡巡行は戊辰戦争研究会の福島支部主催にて開催されました。 「会津集会」となりましたが全国から16名の方の参加となりました、参加者は北は二本松から南は福岡県から、私の属する関東支部からは5名が、残りは(失礼)地元白河と会津の方々でした。 研究会主催の集会は昨年9月の「京都集会」以来です。 前日までは大変な雪模様でした、前泊された会員の話ではちょっと外を歩くと雪だるま状態になったそうです、ですか私が会津に到着した土曜日は打って晴れたとんでもない快晴の日になりました。 さて史跡巡行は今夜宿泊するホテルのマイクロバスを貸り切って行われました。
最近開館したばかりの「大河ドラマ館」です。 NHK大河ドラマの「八重の桜」を記念して急遽会館しました。 会津鶴ヶ城近くの博物館の隣です、入場料500円です。 さすがにNHKらしくドラマのパネルをふんだんに使っての展示は分かりやすく、この記念館を訪れれば主人公「山本八重」後に「新島八重」の生涯が理解できます、それと同時に主演の「綾瀬はるか」の魅力に接せられます。
「山本八重」「山本覚馬」の生誕の地です。 現在は駐車場になっており、生誕の地を示す看板が出ていました。
飯盛山の白虎隊の墓です。 この地は何度も訪れていますが、雪の季節は初めてです。雪に埋もれた墓ですが焼香する人が絶えません。
中野竹子の像です。 この地に建てられた史跡看板で紹介します。 「史跡・中野竹子奮戦の地 前文・略・・・8月23日には、中野竹子・優子の姉妹を中心とした婦女子隊は坂下まで出陣した が、8月25日には、婦人の従軍が許可されたので、黒髪を断ち、薙刀をかかえ、衝鋒隊に加わり、 城下にせまる長州・大垣藩の兵士とここで遭遇し、激しい戦いが展開された 竹子は辞世の 「武士の猛き心にくらぶれば 数には入らぬ我が身ながらも」 と、詠んだ短冊を、薙刀に結び付け奮戦したが、敵の銃撃に会い、壮烈な戦死をとげた。時に22歳 であった。 墓は会津板下町の法界寺にある。」 会津若松市教育委員会
如来堂(新撰組の墓)
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