ザ・戊辰研マガジン

Vol.4

東京散策 小塚原刑場跡と回向院

2018年02月06日 11:09 by hidamarikun

2018/1/20 東京散策

上野→徒歩で吉原(吉原弁天池跡と投げ込み寺)→徒歩で南千住(小塚原刑場跡と回向院)
吉原の史跡はそのうち記載
今回は、南千住の史跡より
南千住駅の鶯谷方面のカーブ下にある小塚原刑場跡



※吉原の投げ込み寺(入り口から雰囲気的に怖いくらいの墓地)から小路を歩き到着。
小塚原は、磔刑・火刑・梟首(獄門)が執行されたところ。また、腑分けも行われた。
※腑分けが行われたのは小伝馬町牢屋敷(日本橋小伝馬町)と小塚原刑場であったという。
腑分けについて、こーいうのもあります。
『解体新書』の翻訳 編集
明和8年(1771年)にターヘル・アナトミアを手に入れた蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが解剖図の正確性を確かめるために小塚原刑場において刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合っており、昭和になってからこのことを記念して回向院に寄贈された観臓記念碑がある。
【Wikipedia引用】
死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるのみで、夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったという。(…行った後でよかった。理由知ってたらまず行かない)
創建から廃止まで約20万人の罪人の刑を執行した場所らしい。(墓石無いから無縁仏?か?)
【Wikipedia引用】
ちなみに、
ここに来た理由は…
前回、小伝馬町牢屋敷を書いた続きである。
安政の大獄で処刑された橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎等が埋葬された場所が、この刑場の隣にある回向院。
明治維新への精神的指導者といわれた吉田松陰
開国派として危険視された橋本左内
幕末期の儒学者の頼三樹三郎
といった幕末の重要な思想家たちの墓がある。
※吉田松陰の墓所は、1863年に高杉晋作らによって世田谷区若林に改装
明治時代になると松陰神社が建立

 
吉田松陰の墓             鼠小僧次郎吉の墓




橋本左内の墓


ここ、回向院には当時の墓石だけが、文化財として保存されている。
因みに政治犯であった彼らの処刑は、小塚原刑場ではなく伝馬町牢屋敷であり罪人として回向院に葬られた。
また、桜田門外の変にて井伊直弼を襲撃した関鉄之助をはじめ多くの元水戸浪士も埋葬されている。
更に、余談だが
坂下門外の変などの討幕運動に関連した処刑者
二・二六事件の磯部浅一の墓
江戸時代後期の窃盗犯 鼠小僧次郎吉
通称直侍と呼ばれた片岡直次郎(誰)
明治初期の稀代の悪婦 高橋お伝(誰)
江戸時代の侠客 腕の喜三郎(誰だ)
などもここ小塚原で処刑され回向院に埋葬



感想として
刑場=心霊スポットとなりがち(夜行きたくないけどさ…鈴ヶ森刑場跡と比べると…まだマシ!)
だけど、高校まで習った歴史の再確認ができる。
どこかの研究会(明治維新150年だから?)の方の説明を盗み聞きしながら散策していた。
場所が場所なため生半可な気持ち(行かないとおもうけどさ…)で行かないことをおすすめします~


延命寺にある首切地蔵尊

(記者:酒井)

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