西郷隆盛像(台東区上野恩賜公園)
明治10年の西南戦争で西郷隆盛は賊徒となったが、その後に明治新政府から許され銅像設立の運びとなった。しかし当初は皇居前に予定されたが曲折があり、西郷隆盛が上野戦争(彰義隊の戦い)で自らが攻め込んだ上野の山に建てられることになった。
完成した像を見て西郷隆盛の奥さんは「うちの人はこんな人じゃない」と言ったことは有名です。この像は第二次世界大戦時の金属供給時には芸術品ということで供出は免れた。しかし現在の西郷像を見る限り芸術品とは言えないだろう、何しろ鳩の糞にまみれで無残な様相の像である。
どこの世界に糞まみれの芸術品などあるものか。
また西郷像が建つ場所に問題があるのである、上野の山は彰義隊が守った山である、自分が攻め込んだ山に立つのである。無血開城であるはずの江戸城開城が実は血塗られた開城であった。
だからこそ銅像の立つ場所が問題なのです。
西郷像のお尻の向こう側100メートルほどにあるのは、西郷隆盛が手にかけて殺戮した彰義隊の墓が建つのである。つまり西郷隆盛像は彰義隊の墓に尻を向けて建っているのである。
このような無礼なことがあっていいのか。
彰義隊の戦いから150年経ちます、上野の西郷像は薩摩に戻していただきたい。
平成26年1月 撮影者 伊藤 剛
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