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湯長谷藩と袈裟懸け地蔵伝説

2021年05月06日 09:51 by norippe

 超爽快な時代小説「超高速参勤交代」が人気を得たのはまだ記憶に新しい。


湯長谷藩館址の石碑前で戊辰研メンバーの記念写真

 一年の江戸詰めを終えて、帰郷したばかりの磐城湯長谷藩に5日以内に参勤せよと、再び江戸への参勤の命が下った。貧乏な磐城湯長谷藩に振って沸いた金山の噂話。この金山話に幕府老中・松平信祝の陰謀が始まった。
 時間もなく貯えもない。それでも超高速!参勤交代が始まる。
 幕府に立ち向かい知恵を絞って達成した参勤交代。この小説を読んだ人、映画を見た人の心が晴々となったに違いない。
 磐城湯長谷藩は、磐城平藩2代藩主・内藤政忠興の次男である内藤政亮に所領の増加分2万石を分け与え立藩した藩であった。本家・分家である両藩の家紋は上がり藤に下り藤、上下が逆さまになった家紋であるが、これが参勤交代で巧妙な結果を生み、そして窮地に立たされた湯長谷藩を救ったのは磐城平藩であった。以前、平藩が飢饉に見舞われ、大きな百姓一揆が勃発した時にその平藩を救ってくれたのが湯長谷藩であった。そんな恩もあってか湯長谷藩参勤交代の危機は救われた。この辺は史実に基づく話である。

 湯長谷藩の藩主は内藤政醇。その政醇の墓は湯長谷城(陣屋)があったすぐそばの龍勝寺(内藤家の菩提寺)にある。


湯長谷藩内藤家の墓

 また、この龍勝寺には戊辰戦争で亡くなった西軍の墓もある。
【因州藩】佐々木庄之助、井出 榮三郎、中村 佐助、入江忠三郎
【佐土原藩】兒玉源太郎、牧野田六左衛門

 この龍勝寺があるあたりは常磐白鳥町といい、白鳥が飛来する場所だったのかも知れない。そしてこの寺の近く、民家が立ち並びその民家の横にある狭い路地(路地と言っても道なのかどうかは疑問)、なんだか他人の家の横を「ごめんなんしょ!」と言って通るような場所であるが、その先に行くと赤い袈裟をまとったお地蔵さんが見えてくる。袈裟懸け地蔵である。
 別名「駒ケ沢地蔵」とも言われるが、このお地蔵さんには次のような伝説があるので紹介しよう。




袈裟懸け地蔵

【痛手の袈裟懸け地蔵(いたでのけさがけじぞう)】
 江戸時代の中頃、藤原川沿いの白鳥付近に夜な夜な憐しい者が現れ、通る者を悩ませているという悪い噂が広がり、殿様の耳にまで入るようになった。
 ある晩、仙台藩のある腕のたつ武士が、藩の用事をすませて江戸から帰る途中、この白鳥地内に差し掛かると、暗闇の中からぬっと化け物が出て襲い掛かってきた。とっさに刀を抜いて気合いもろとも一刀のもとに左肩から右脇へ切り下げると、ガチンという音とともに化け物は消えてしまった。武士は異様な音に不思譲がりながらもその場を去り、その夜は湯長谷宿に泊まった。翌朝早く、その場へ行って見ると、そこには石の地蔵が袈裟懸けに切られ倒れていた。
 武士は地蔵を抱き起こし、丁寧にわびるとともに、事情を湯長谷藩に話すと噂を知っていた為すぐに許しを得、そのまま仙台への帰路についた。その後、地蔵は近くの龍勝寺に移されたが、災難が続いたため元の所へお堂を建て祀られたと伝えられている。

 伝説の中に出てくる仙台藩士は進藤儀次(通称、勘四郎)と言い、仙台藩主伊達忠宗(正宗のニ男)に仕えた剣の達人であったと伝えられる。今も左から右下へ断裂の痕が見られる地蔵は、白鳥地内のかつての浜街道沿い民家路地奥にある。地蔵を管理しているのは近くにある龍勝寺(臨済宗)。


龍勝寺


香火殿

 本堂左側に建つ宝形造りの建物は、「香火殿」。その堂内に、等身大の阿弥陀如来が祀られている。胎内に小さな立像が安置されているところから、「腹ごもり阿弥陀尊」とも称される。堂内にある小石でなでると「いぼ・吹き出物」が治るとして地域から信仰されてきた。「香火殿」左外壁上に、木造の舟が置いてある。これはかつて住職が入部する際にこの地にあったひょうたん池を渡る時に使った舟との事。長い間ずっと吊り下げた状態にあると言う。この香火殿に通じる小作りの山門が改修された折、古い柱に「瑞巌寺」という銘が発見された。瑞巌寺は、伊達政宗が仙台地方を領するに及び再興された寺。その瑞巌寺となんら関係があったのではないかと言われている。


香火殿の木舟

 戊辰戦争研究会では5年前の平成28年6月にいわきの史跡巡りをしたのだが、もちろんこの湯長谷藩の跡地も歩いた。一泊二日の旅で、宿泊先はこの湯長谷藩のあった常磐湯本の「新つた旅館」。この常磐湯本町は福島県でも屈指の温泉地で、代表格のスパリゾートハワイアンズ(旧名:常磐ハワイアンセンター)がある。

 小説「超高速参勤交代」は、東日本大震災で苦しむ被災地の人々、そしてこの常磐湯本町にも勇気と笑顔を与えてくれた。そして今回のコロナウイルスで、この観光地の町全体が窮地に立たされているが、超高速参勤交代の時のように、再び皆で知恵を出し、皆で力を出し合って、この難局を乗り越えて欲しいと願わずにはいられない。

(参考文献:浜通り伝説へめぐり紀行)

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