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ザ・戊辰研マガジン

2019年09月号 vol.23

幕末・維新の旅「熊本」

2019年08月27日 17:29 by katsukaisyu
2019年08月27日 17:29 by katsukaisyu

熊本 幕末明治史跡と世界遺産その3 熊本市内   

  熊本城は、残念ながら、まだ、天守閣へは登れませんでした。熊本城内にある谷干城の銅像です。

 谷は土佐藩士で、西南戦争時の熊本鎮台の司令官でした。

 こちらは熊本城内に設置された幕末の熊本に関わりのあった人物たちの銅像です。下の写真の向かって左が龍馬で、右が勝海舟です。中央は横井小楠です。

 龍馬、勝、横井小楠です。

熊本空港の近く、横井小楠の旧邸跡が残されています。熊本在住の知り合いの方に案内していただき、本当に感謝です。

 熊本市内の東側にありますが、益城町に向かう街道沿いには空き地が多数、見受けられます。そう、熊本地震の際に、大きな被災のあった場所です。さぞや、大変だったことと、お見舞い申しあげます。

  小楠の旧邸は幕末時は田んぼの中にあったのでしょうが、現在では住宅街の真っただ中です。勝に連れられて、横井邸に龍馬がやってきました。横井に教えを乞うためです。

  この場所に横井の書斎、四時軒があったのですが、先年の地震で何と、崩壊!!木材は無事だったそうで、立て直しが決まったとのことです。いずれ、再建されることでしょう。 すぐ横に資料館があり、中に入れていただきました。松陰や海舟、もちろん小楠の資料がたくさんありました。小楠は明治初年、徴士となり、藩から明治政府に出仕しました。そして、明治2年1月、攘夷派の浪士に御所のすぐ南側で暗殺されてしまいました。資料館には、その折に小楠が応戦した小刀が残されていました。ぐっさり刀傷があり、刀もろとも、斬られたのだろうと想像されます。遺品はご子孫により、当館に寄贈されたのだとか。

  小楠暗殺の場にはよく行くので、小楠は筆者にとってはおなじみの人物です。小楠の息子、時雄が同志社にやってきて、新島襄の弟子になり、山本覚馬の娘と結婚して、同志社の総長になり・・といったあたりの話は、「新島八重を歩く」(光人社刊)で京都編を書く際にいろいろと調べました。横井家の墓所は南禅寺の塔頭の一つ、天授庵にあります。

 熊本と言えば、くまもん!田原坂に展示されていた西南戦争時の衣装を着たくまもんです。手作りでしょう。もう一つ、最後に見送ってくれた巨大くまもんの壁画です。

 写真は熊本名物の中華料理、太平燕(タイピーエン)です。

 ラーメンのように見えますが、小麦ではなく、春雨です。春雨は豆でできているそうで、いたってヘルシーなスープ麺です。野菜たっぷりで、美味ですよ。これが、関西ではみかけないのですよね。熊本滞在中、3回食しました。

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