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ザ・戊辰研マガジン

2019年09月号 vol.23

第34回全国城下町シンポジウム會津大会

2019年09月01日 09:44 by tetsuo-kanome
2019年09月01日 09:44 by tetsuo-kanome

 2015年5月23日~5/24の二日間、会津若松市において「第34回全国城下町シンポジウム會津大会」が開催されました。イベントの中で、『会津と長州から考える日本人の魂(こころ)』というパネルディスカッションがあることを知って、私は、この時、初めて星亮一先生のお話を拝聴しました。

 

 パネルディスカッション 『会津と長州から考える日本人の魂(こころ)』

コーディネーターは、福島県立博物館館長の赤坂憲雄氏

パネリストは、歴史作家・星 亮一先生

松陰神社宝物殿至誠館上席学芸員・島本 貴氏

 会津藩側が星亮一先生で、長州藩側が松陰神社宝物殿至誠舘の島本氏。まさに、両者の立場から生々しいお話が聞けると期待しておりましたが、それほど突っ込んだ話に至らず少し期待外れでした。 コーディネーターの赤坂氏が、最後に語られたことがとても心に残りました。 『こうした場をつくれたことは よかった。負け組となった会津の知識人は、よその地で日本の近代を支え、大きな働きをしました。痛みを知るがゆえに』 との言葉は、赤坂氏が東日本大震災復興構想会議委員を務め、現在も復興に心を砕いていてくださっている心情からの発言だったと思います。

 

 

 当時、このパネルディスカッションに対する一般の方々のご意見がインターネットに掲載されており、とても興味深かったです。

①会津の魂、と言うのには矛盾があります。終戦後に、鶴ヶ城の、それも本丸の真ん中に、競輪場を作って、鶴ヶ城を壊してしまった會津市民だからです。この事実を、私は忘れることはできません。會津藩士の子孫が若松には残っていなかったからできたことなのでしょう。

② 全国城下町シンポジウムは、いい企画ですね。ただ、会津若松の人たちに苦言を提示するなら、会津藩の歴史の本当の姿を、あまりにしらないことです。はでな所ばかり喧伝して、幕末からたどった悲惨な道をもっと知るべきで、それが分かれば、お祭り騒ぎのような「会津魂」などできませんね。会津藩初代藩主の保科正之公が、徳川家光と異母兄弟であることが会津藩の宿命となり、徳川家いや日本の将来のために徳川家の楯となって散った、武士道を思いやらねばなりませんね。会津藩士の斗南での苦難の人生を思い、臥薪の夢を忘れめや(会津高校の歌にある)です。

 私個人としては、このようなイベントを通じて、会津と長州のわだかまりが少しずつ雪解けしていくことを期待します。

【パネルディスカッション終了後、星亮一先生の著書にサインを頂きました】

【記者 鹿目 哲生】

 

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