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ザ・戊辰研マガジン

2019年09月号 vol.23

プールそして川遊びの思い出

2019年09月05日 00:16 by norippe
2019年09月05日 00:16 by norippe

 会津藩の藩校「日新館」には日本最古と言われる水泳プールがあった。今のように泳ぐ速さを競ったり、シンクロや高飛び込みのように、泳ぐ美しさを競うものではなく、水の中で敵と戦うことを想定した敵前泳法を修得するのが目的であった。「向井流」という泳法で、鎧や甲を身にまとっての訓練で、江戸湾警備を任された会津藩は、海を渡って来る敵のためにこの向井流という泳法を、日新館のプール「水練場」で習得したのである。白虎隊ももちろん訓練を受けている。今のように水を楽しむと言ったものでは無かったようだ。
 現在、その水練場があった場所は、日新館スイミングスクールの施設となっている。



 先日、東京の豊島園プールで8歳の女の子が溺れて亡くなった事故があった。ライフジャケットを付けたまま、水に浮いている遊具の下で溺れていたという。安全には配慮されているはずのプールでの事故、徹底した検証をして欲しいものだ。

 私が小学6年の時の出来事である。私の小学校には25mプールがあった。当時はすべての学校にプールがあったわけではない。プールが無い学校は、先生が引率のもと生徒を連れてプールのある学校へやって来る。
 4時間目の授業が終わり、給食の準備が始まろうという時、廊下で何やらクラスの仲間が騒ぎ始めた。
 「大変だ、大変だ!プールに人が沈んでいるぞ!」
 私は教室を飛び出し廊下に出た。そして3階の窓から眼下のプールを眺めたら、プールの底に人が沈んでいるのが見えた。
 その騒ぎを聞いた担任の先生は、急いで階段を駆け下り、そしてプール際まで走り寄り、服を着たまま頭からプールに飛び込んだ。
 3階の窓からは、先生が潜水して沈んでいる人をすくい上げて来る様子が鮮明に見ることが出来た。すくい上げられたのは小学校低学年の女の子だった。
 先生はプールサイドに女の子を横たわらせ、必死に人工呼吸を施していた。そして女の子は医務室へ運び込まれた。
 午前中、プールはよその学校の生徒で、ワイワイガヤガヤと賑やかだった。そして昼が近づいた頃に、生徒達は帰って行ったのだが、引率の先生は人数も確認しないまま帰って行ったのだろう。怠慢極まりない。女の子がその後どうなったのかは分からない。
 先生の体は全身びしょ濡れで、まるでカッパのようだった。しかし、勇敢にプールに飛び込んだ先生がとても誇らしく思えた。その日の給食はカレーライスだったが、興奮のあまりなかなか喉を通らなかった。

 私の小学校のプールには小プールと大プールの二つがあり、今回事件が起きたのは大きいほうのプールであった。このプールは深さが1m80cmもある場所がある。小学校のプールとしてはこんなに深いところがあるプールは珍しい。大の大人が立っても頭が出ない程深いところがあるのだ。この一番深いところに女の子が沈んでいたのだ。
 ちなみに、小プールは真ん中に噴水がある丸いプールで、泳ぐというよりは水遊びをするようなプールであった。私のひとつ上の先輩がこの小プールで初めて泳いだ時、思いっきり頭から飛び込み、浮き上がってきたその顔を見たら、鼻の頭から血を流し、痛い痛いと言って出てきた。プールの底に鼻の頭をこすり付けたようだ。この小プールは水深が浅く、1mも無かったのだ。飛び込んで泳げるプールではなかったのである。

 次は時間を少しさかのぼり、私が小学4年生の時の事である。
 夏も終わり秋も深まろうかという時期に、私は友達とプールサイドで遊んでいた。プールにはまだ水が張ったままで、なぜか材木が浮いていた。プールの水際ぎりぎりにしゃがみ込み、この浮いている材木を取ろうと手を伸ばし、指が材木に付くか付かないかという時にバランスを崩し、プールの中にドボン!と落ちてしまったのだ。一番深い、1m80cmのところへ落ちてしまったのだ。
 水中で目を開け、必死に手足を動かし浮き上がり、水際まで泳いだ。そしてプールから這い上がった。服はビショ濡れ、体からは水がしたたり落ちている。水は冷たく、寒さで体はガタガタ震えていた。そんな時、担任の先生がやってきて教室に連れて行かれた。そして教壇に立たされた。
 先生は何を言うかと思ったら、「おまえが死んだら、俺は先生を辞めることになるんだぞ!」と言った説教が始まった。クラスメイトが全員いる中での説教であった。そんなことより、寒いのだから早く家に帰してよ!という思いで一杯だった。そして家に帰れの指示が出て、家に戻ったら母親が着替えを出して来て、ようやく寒さから逃れられたのだ。
 今思うと、確かにプールに落ちたのはこちらが悪いと思うけど、先生の言い分はおかしいと思う。自分の進退を心配するよりも、生徒の身体を心配するのが普通ではないのだろうか。この担任は2年間だけ世話になったが、いい思い出は無かった。

 私はプールで遊ぶ事より、近くの川で泳いだり魚釣りをして遊ぶのが多かった。
 家の近くには一級河川があり、東北本線の鉄橋がかかっている場所が絶好の遊び場所であった。鉄橋の橋脚はコンクリの台座になっていて、プールと同じように飛び込んで泳ぐことが出来た。川の流れに逆らって泳ぐ醍醐味もあった。しかし、さすが川とあって、いろいろなものが流れてくる。
 橋脚から勢いよく飛び込み、浮かび上がって川面を眺めると、驚きの光景に遭遇する。猫の死体が流れて来て、目の前に迫ってくるのだ。それも猫は目ん玉が飛び出していて、そりゃ恐ろしい状態で近寄ってくるのだ。急いで潜ってその場を逃れた。
 また、上流からウンチらしきものが、プカリプカリと流れて来ることもあった。たまたまタイミングが悪いと、浮上した頭の上にウンチが乗っかっちゃった!なんてことも。これは本当にウンが悪いとしか言いようがない。
 また、潜った川の底にはいろいろな岩があり、岩と岩の間には隙間があり、魚たちの絶好の隠れ場所になっているのだ。その魚を追って隙間に頭を突っ込み手も突っ込み魚を捕ろうとするのだが、たまたま深追いしすぎて、体が挟まったまま抜け出せなくなった時があった。あの時は溺れて死ぬかと思った。岩に引っかかった体をむりやり引っ張り、ようやく抜け出し浮かび上がる事が出来た。九死に一生を得たのである。

 泳ぎ終わって陸に上がると、そこはジャガイモやトウモロコシの畑が広がっている。悪いことと知りつつもジャガイモを掘り起こし、川で洗って土を落とし、焚き火を焚いてベークドポテトの調理時間の始まりだ。計画的というべきか、もちろん焚き火のための火起こし道具は持ち合わせしている。誰が見ても濡れた身体を乾かしているんだろうなという思わせぶり。燃えたぎる枯葉や木の枝の中にはジャガイモが入っている。それを知るのは、火を囲んでジャガイモが焼けるのを待っている仲間だけである。
 畑の作物を黙って頂くのはいけない事であるが、もう50年以上も前の事なので許してもらえるか。と言うより、そのイモを喰った仲間の中には、警察官になって署長にまで登りつめた奴もいた。

 こうして若かりし頃の悪ガキどもは、過去の出来事を水に流し、今は立派な大人、そして白髪頭の老人になってまともな余生を送っている。

(記者:匿名希望)

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