ザ・戊辰研マガジン

2018年11月号 vol.13

九州・薩摩を歩く、日本で最初の新婚旅行に何の意味があるのか。

2018年11月06日 10:58 by date

 10月にひょんなことから九州の鹿児島県に行くことになりました。
私は自分の人生の中でどんなことがあっても、長州と薩摩には足を踏み入れないだろうと考えていましたし、実際のそのように人生を送ってきました。
 先の10月に九州の芋畑に行きました、芋畑にはいっぱいのイモ侍がいました、なんて書こうものなら世間からパッシングを受けそうですが、実際に行ったのは鹿児島県鹿児島市です。鹿児島市内や指宿市、南九州市の知覧などを観光したのちに向かったのは霧島連山です。もとい霧島温泉といってもいいでしょう。
 霧島は温泉地ですが、その中に歴史的にも特異な「霧島神宮」があります、

 霧島神宮は6世紀に創建された神社で、天照大神の孫のニニギノミコトが降り立ったという天孫降臨の地だそうで、写真にあるように大変勇壮な社殿で、周りの木々は推定千年以上もたつような見事な樹木です。神宮内には「さざれ石」が鎮座していますが、これは「君が代」の歌詞のなったさざれ石ですが、ここのさざれ石がモデルではありません。さざれ石の上には日本の小銭がたくさん置いてありましたが、何のつもりでしょう。まさかイタリアのトレビの泉に倣ったのではないでしょう。だとしたらその幼稚な精神性にあきれてしまいます、こういうことが観光地をつまらなくしているのでしょう。

 霧島神宮は大変険しい山の中にありまして、山奥に鎮座しております。これならば神話の通リに神様が降りてくる場所としては最適なんでしょうが、霧島の山の中を歩いて不便な山奥とは言えない気持ちになりました。

 確かに現代から比べれば不便な山奥でしょうが、ここ霧島の山には清冽な谷川が流れており、木の実や果実や山草などの山の恵みが豊富で、かつ各所には温泉が湧き出ており、その時代に暮らすには大変豊かな場所のはずです。しかも山中なので山城代わりに、攻めてくる側からの守りにも最適です。
 そういうことを考えると、霧島という場所は平地などに比べても当時は一等地だったのではないかと思います。
 
 そういう一等地の場所に江戸時代後期にやってきた夫婦がいます、坂本龍馬夫婦です。
坂本龍馬を知らない人も多いでしょうが、1966年(慶応2年)の1月23日の深夜に京都・伏見の寺田屋で友人と飲酒していた時に、伏見奉行所の捕り方100名に囲まれました(30名という説もあります)。役人に捕縛されるときは、所持していた短銃を撃ち抵抗しました、そのためでしょうか左右の親指を捕縛する役人に切られてケガをしてしまいました。この捕縛時に坂本龍馬の奥さんは入浴しており、役人の気配に気がついて素っ裸で(浴衣一枚を羽織ってとの諸説あり)坂本龍馬にことを知らせに入ったという逸話があるそうです。(私はそういうことには興味がありません)
 その後坂本龍馬はいつの間にか逃げ出し、薩摩藩の屋敷に囲われたそうです。その薩摩藩の小松帯刀や西郷吉之助の勧めがあり、坂本龍馬夫妻はしばらく身を隠し養療するために薩摩に旅に出ました。
 薩摩藩船「三邦丸」で大阪を発ち、3月10日に鹿児島・天保山に到着し、小松帯刀の別邸に宿泊して3月16日に船で鹿児島県浜の市港に向かい、霧島を目指しました。
3月17日には塩浸温泉に到着し、当地に11泊しました。なんとのんびりしていたのでしょう。3月28日には霧島温泉に向かい3月29日に高千穂峰を登山して、山頂にある「天の逆鉾」を夫婦で引き抜いて遊んだそうです、なんとバチあたりな夫婦なんでしょう、こういう夫婦はいずれ天罰が下ります(実際に天罰が下りました)。
当日は華林寺の宿坊に泊まり、3月30日には硫黄谷温泉に泊まり、4月1日から8日までは再び塩浸温泉に7泊しました。塩浸り温泉では温泉の前を流れる谷川で魚を取ったり、短銃を使い鳥を撃っていたようです。

 写真は谷川で遊ぶ鴨の群れです、流れる川の水はきれいでした。しかもカルガモの親子が悠然と行列を作って泳いでいました。

 坂本龍馬夫妻が入浴したという浴槽が残されていました、ただ周りの石垣は後世のものです。今も実際にお湯が流れています、但しお湯の温度はかなりぬるく今では入浴はできません、というより周りから丸見えですのでよほどの勇気がなければ入れません、案内板には入浴禁止とありました。

 ここ塩浸り温泉には、坂本龍馬関連の建物や銅像が多数あります。


 霧島連山を国道223号を車で走ると駐車場と大きな看板が見えます。これが塩浸り温泉なのですが「塩浸温泉龍馬公園」の看板になっています。
これがあるお陰で坂本龍馬関連の場所だということがわかります、この看板が無ければ通り過ぎちゃうかもしれません。ホントに人を呼び込ませる看板です。

 坂本龍馬・お龍新婚湯治碑です。
ここの他には、「龍馬資料館」があります、その建物の看板には「この世の外」なんて書いてあります。これは坂本龍馬が自分の姉に宛てた手紙に、塩浸り温泉はこの世の外のような場所であると記したそうで、そこからこの資料館の名称になったようです。でも坂本龍馬にはぴったりの名前です、いずれこの世の外に行っちゃった人なんですから。
 そのほかには「縁結びの足湯」なんてのもありました。坂本龍馬夫妻が縁結びのご利益があるとは思えません、何故ならいずれ龍馬は暗殺される人ですし、奥さんのお龍は主人の亡き後に酒浸りになり、他の人と再婚までしちゃうのです。そのような夫婦のありようが縁結びに繋がるとは到底思えません。(龍馬ファンの方、あしからず)

 ここ塩浸温泉には「坂本龍馬・お龍の日本初の新婚の湯」との看板でひとり気を吐いています、世間では「日本人初の新婚旅行」は坂本龍馬夫妻と言われています。
そのことはおそらく司馬遼太郎が描いた小説「龍馬が行く」で紹介したことでそういわれているのでしょう、しかしよく考えると「日本人初の新婚旅行」と言わしめた根拠はあるのでしょうか。
 そもそも新婚旅行という考え方はその当時なかったはずです、どの文献を見ても坂本龍馬夫妻は寺田屋事件での傷を癒すために、薩摩藩の西郷や小松帯刀らの勧めで薩摩・霧島ったはずで、新婚旅行という範疇ではなかったはずです。司馬遼太郎のいうところの「司馬史観」が現代に生きて、坂本龍馬新婚旅行説ができたのでしょう。最も坂本龍馬夫妻がその時期に「新婚旅行」に行ったということがどのような意味を持っていたのでしょうか。その後の日本で新婚旅行に行くことが風俗として文化として続いたのでしょうか。
 こういう歴史の段片を用いて現代の様相に当てはめることは、歴史のねつ造ともいえるのではないでしょうか。

 私は塩浸温泉の坂本龍馬はさておいて、霧島連山に清冽に流れる石坂川や霧島神宮に見られる悠久の時の流れに神々しさを覚えずにはいられませんでした。

 記者 伊藤

 

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