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ザ・戊辰研マガジン

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秋山兄弟生誕地(愛媛県松山市)

2022年04月03日 19:19 by tetsuo-kanome

【秋山兄弟生誕地】

【秋山好古像】

【秋山眞之像】

 愛媛県松山市内には、日露戦争を奇跡的勝利に導いた秋山兄弟の生誕地があります。残された写真や子孫の証言を頼りに原型に近い形で復元した兄弟の生家。屋内も兄の秋山好古が住んでいた様子を忠実に再現し、秋山兄弟の関係資料などを展示。庭には、兄弟の銅像が見つめ合うように配置されており、好古は弟の眞之へ思いやりの目を、眞之は兄の好古へ尊敬の目を向け合っているかのよう。ただひたすらに「坂の上の雲」をめざし、激動の時代を駆け抜けた秋山兄弟の生き様は、今もこの地に薫ります。

【秋山兄弟生家】

  『質実剛健』がモットーの秋山好古は、弟の眞之に超質素な共同生活を強要、「嫁をもらうと気力が萎える」と信じ晩婚となった変わり者で、酒を片時も離さず前線で泥酔の狂態を演じたこともあった。とはいえ「最後の古武士」といわれた秋山好古は、日清戦争では騎兵第一大隊長として旅順攻略戦の最前線で命懸けの働きを示し、陸軍乗馬学校(騎兵学校)校長に就任、日露戦争では騎兵第一旅団(通称秋山支隊)を指揮し最前線で死線をかいくぐった。「日本騎兵の父」と称された秋山好古は陸軍大将・教育総監に栄達し(東條英教は中将止り)、退役後は松山へ戻って私立北予中学校の校長となり無遅刻無欠勤を通したという。秋山眞之の追悼会で秋山好古は「弟眞之は片時も御国の為という観念を捨てなかった」と亡弟に賛辞を贈った。

 日本を代表する小説家・司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公3人のうち、秋山好古・眞之兄弟の生誕地に復元した生家。好古は晩年、生家に若干手を加えただけの素朴を極めた家に住んでいた。その家は空襲のため焼失。当時の写真や関係者の話などから復元した。秋山眞之は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。少佐時代に日露戦争が勃発。連合艦隊の作戦参謀に任じられ、日本海海戦の作戦立案。見事、丁字戦法にて、ロシアのバルチック艦隊を殲滅させた立役者。眞之の「本日天気晴朗なれども波高し」は名言です。

【記者 鹿目 哲生】

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