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ザ・戊辰研マガジン

2022年04月号 vol.54

江戸の坂道(桜坂)

2022年04月06日 13:25 by norippe
2022年04月06日 13:25 by norippe

 桜のトンネルをくぐりながら通る道は全国各地にある。
 私の住む福島県の浜通りには、富岡町の夜ノ森という桜並木の名所があり、その桜並木は2.2Kmにもおよぶ道である。原発事故で通行止めになった当時は、この夜ノ森の道を通る車も人もなく、我がもの顔で悠々と歩くイノシシの姿があるのみとなった場所である。


福島県双葉郡富岡町にある夜ノ森の桜並木

 今年の1月26日、特定復興再生拠点の立入規制緩和により、夜の森桜並木のバリケードが開放された。10年以上、立ち入りが制限されてきた夜の森の桜並木が自由に入れるようになり、素晴らしい桜並木のトンネルを満喫出来るようになったのである。


 桜坂という名前は日本各地にあると思うが、今回の記事の桜坂は東京大田区田園調布、旧中原街道にある桜坂。江戸時代には大名も通った坂道である。
 この坂道は、旧中原街道の切通しで勾配のきつい坂であった。荷車の通行などは大変だったようである。今ではゆるい傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道の面影を残している。


桜坂

 歌手の福山雅治が歌って大ヒットした「桜坂」は、ここを舞台にした歌である。桜の季節になると、全国の福山雅治ファンで大賑わいの場所なのだ。


桜橋から桜を眺める人々

 江戸時代この街道は、農家の荷積み車や旅商人が往来し、かなり賑わった道とされている。多くの茶屋が軒を連ね、旅人は険しい坂の途中で疲れを癒した。大名の参勤交代や、歴代将軍の鷹狩り道としても利用された坂道である。また徳川家康の愛用する道でもあったようだ。この道は相州平塚の中原から江戸へと至る街道で、駿府から江戸への近道とされた。東海道が整備されてからも、通な飛脚や旅行者、行商人の抜け道的な役割を果たしていたという。
 この桜坂の桜は、昭和になって植えられたもので、桜坂と名付けられたのも昭和以降で、昔は沼部大坂と言われていた。この桜坂は石垣が旧中原街道の情緒をとどめる美しい名坂である。

 この桜坂のある界隈には、北条政子ゆかりの東光院がある。源頼朝の妻北条政子の守り本尊が浅間神社に祀られ、その観音菩薩像が新政府の政策により、明治4年に東光院に移され祀られている。


東光院

またこの界隈には六郷用水という多摩川から水を引いた用水路があった。


六郷用水跡

そして、その多摩川の岸辺には丸子の渡し跡がある。
昔は橋が無く、渡し船で行き来していたのである。


写真は、右に中原街道の丸子橋、左に東横線の鉄橋、そして中央が丸子の渡し跡になる。

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