バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…

ザ・戊辰研マガジン

2022年04月号 vol.54

四国松山と言えば道後温泉

2022年04月03日 07:53 by tetsuo-kanome
2022年04月03日 07:53 by tetsuo-kanome

【道後温泉本館】

【道後温泉本館 神の湯】

 四国松山と言えば、道後温泉です。日本最古といわれる温泉です。宝永7年(1710)に完成した郷土地誌『予陽郡郷俚諺集(よようぐんごうりげんしゅう)』には、昔脛に傷して苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に脛を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、白鷺は元気に勇ましく飛び去ったと書かれています。そして、これを見た人たちは大変不思議に思い、入浴してみると爽快で疲労を回復することもでき、また、病人も入浴しているといつの間にか全快したことから、盛んに利用されるようになりました。道後温泉は白鷺により発見され、人々がその霊験を知って入浴するようになったと伝わります。後世の人たちがこの伝説を記念するために、鷺石と称する石を置き、現在は道後温泉駅前の放生園に移され、保存されています。

【白鷺伝説】

【鷺石】

 伊予国風土記逸文には、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が伊予の国に来た際、重病にかかった少彦名命を大国主命が掌にのせて道後温泉の湯であたためたところ、たちまち元気になり、石の上で踊ったと記されています。その石は「玉の石」と呼ばれ、道後温泉本館の北側に奉られています。

【「玉の石」】

【大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)】

 また、法興6年(596)、聖徳太子は僧恵慈(そうえじ)および葛城臣(かつらぎのおみ)らを従えて道後に来浴された際、明媚な風光と良質の温泉を推賞せられ、これを記念するために、湯の岡に石碑を建立されたと伝わっています。当時は椿が美しく生い茂り、霊妙な温泉が平等に恩沢おんたくをほどこす様はまるで寿国(理想の国)のようだと讃えています。「熟田津にきたつに船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出な」は、斉明天皇さいめいてんのう率いる船団が出港するにあたり、額田王ぬかたのおおきみが詠んだ歌といわれています。道後には、斉明天皇のほか、舒明天皇じょめいてんのう、中大兄皇子なかのおおえのおうじなど、皇室の方々の来訪の記録が残っています。

【聖徳太子】

 道後温泉のアルカリ性単純泉の湯質は、きめ細やかな日本人の肌に優しいなめらかなお湯で、刺激が少なく、湯治や美容に適しています。 18本の源泉から汲み上げられる源泉は、20度から55度の温度で、源泉と源泉をブレンドすることで42度程度の適温にしており、加温や加水もしていないため、源泉の効果を十分に感じることができます。 道後温泉では、全国的にも珍しい無加温・無加水の「源泉かけ流し」を実現しています。

 道後温泉は、こんなにも凄い歴史がある日本最古の温泉だったんですね。道後温泉本館は、明治27年(1894)に神の湯本館棟が竣工して、125年を超える長い年月の間に、その時代時代の技法を取り入れ、移築や増改築を繰り返し、主に4つの建物が組み合わさった非常に複雑な形態をした建築物です。それぞれの時代の社会的な要求や道後温泉の発展に対応し、道後温泉のシンボルとして存在しています。また、道後温泉本館は、平成6年(1994)に日本で初めて重要文化財に指定された公衆浴場で、その歴史的、文化財的価値を次代に受け継ぎ、維持保存していくために、現在、保存修理工事中です。。明治27年(1894)の改築以降、大正、昭和、平成、そして、令和と時代とともに輝き続ける道後温泉本館。営業しながらの重要文化財の公衆浴場の保存修理工事は、日本初の取組です。道後温泉本館の保存修理工事は、2019年1月15日からスタートし、令和6年12月に完成予定です。

【道後温泉本館~保存修理工事中~】

 現在、誰もがご存知の道後温泉本館の正面は、完全にフェンスに囲まれており、色とりどりのアーティスティックなフェンスと白鷺の絵が目立ちます。

【現在営業中の道後温泉本館の裏側】

 私は、4/1からの娘の愛媛県の就職のため、アパート探しで二泊三日で初めての松山入り。二日間でやっとアパートも決まり、最終日の朝一番の松山市の路面電車で道後温泉に初めて行きました。道後温泉本館には、6時40分頃到着し、整理券を配布しておりました。係の方に整理券を貰おうとしたところ、1番早くて入浴できる時間がなんと14時。あまりの凄さにビックリ。保存修理工事中のため、入れる人数を制限しており、しかも春のお彼岸の三連休で大勢の観光客が訪れており、道後温泉本館は大混雑でした。私は、日本最古の道後温泉本館の入浴は諦めて、近くにある道後温泉別館の飛鳥乃湯と椿の湯に行ってみました。飛鳥乃湯と椿の湯共に、道後温泉本館と同じ泉質です。ただし、道後温泉本館の大混雑のしわ寄せで、どちらも大行列で30分以上待つ必要があることわかりました。並んで入浴しても、いわゆる“イモ洗い状態”だろうと思い、あえなく道後温泉は諦めてホテルに戻りました。

【道後温泉別館 飛鳥乃湯】

 道後温泉本館の保存修復期間中も道後温泉の活計化に向けた取り組み「みんなの道後温泉 活性化プロジェクト」の一環として、道後温泉別館の飛鳥乃湯泉では、昨年10月27日より写真家の蜷川実花さんの鮮やかな花や植物の作品が中庭一面に広がっており、訪れるお客様の目を楽しませてくれています。まさに、インスタ映えしますネ。

【蜷川実花さんの鮮やかな中庭】

【椿の湯】

 道後温泉本館への入浴は、次回松山訪問の際のお楽しみとして、最後に道後温泉入口の様子を見て回りました。

【道後温泉全体図】

【道後温泉の源泉の足湯~放生園】

【坊ちゃんからくり時計】

 道後温泉駅前の放生園にある「坊っちゃんカラクリ時計」は、1994(平成6)年、道後温泉本館建設100年周年記念事業の一環として作られました。午前8時から午後10時までの間、1時間ごとに道後温泉らしい音楽とともにせり上がり、小説「坊っちゃん」の登場キャラクターがみなさまを歓迎します。

【正岡子規像】

【坊ちゃん列車】

【番外編】

 愛媛県といえば、みかん王国です。松山空港や松山市内の飲食店、お土産屋さんには、蛇口から出るみかんジュースを購入することができます。噂では聞いておりましたが、実際に見るとなかなか面白いです。

 

 また、愛媛県といえば、せとかや清見など美味しいオレンジがたくさんありますが、地元の方に教えて頂いたのは、”幻のオレンジ”と呼ばれている『紅(べに)まどんな』が一番美味しいそうです。正式名称は「愛媛果試第28号」。『紅まどんな』は、ゼリーのような柔らかい身がピッチリ詰まっており、手で剥くと実が崩れやすく、ナイフでカットした方が食べやすい。果肉は柔らかで、お口の中でとろける美味しさ。上品な甘みと、口に広がる爽やかな香り、食感の不思議さと相まって、「今」を代表するシトラスとなりました。また、ハウス栽培でしか栽培が出来ず(露地栽培だと果肉が硬くなり、いい特徴が出ない)、12月限定のシトラスです。首都圏や関西圏にはほとんど出回ることがなく、愛媛県限定で期間限定の紅まどんな。

【『紅まどんな』】

 『紅まどんな』は、毎年12月限定の果物のため、実物はあきらめておりましたが、松山市内のロープウェイ通りで見つけたオレンジジュース専門店で「紅まどんな」のジュースを飲んでみました。紹介されたとおり、それはそれは、初めて飲む美味しさで、香りがよく濃厚で上品な甘さには、まさにノックダウンでした。

【「紅まどんなの生ジュース」】

 私は、すっかり「紅まどんな」のとりこになってしまい、家族へのお土産で「紅まどんな」の生ジュースとチューチューゼリーを買って帰りました。皆様も、「紅まどんな」を覚えて頂き、愛媛県を訪問する機会がありましたら、ぜひ「紅まどんな」を食べたり、「紅まどんな』の生ジュース」を飲んでください。きっとその美味しさに驚くことまちがいありません。

【記者 鹿目 哲生】

 

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…