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ザ・戊辰研マガジン

2022年04月号 vol.54

新関脇 若隆景 双葉山以来の快挙

2022年04月06日 13:26 by norippe
2022年04月06日 13:26 by norippe

 86年ぶりという新関脇の優勝が生まれた。86年前、あの名高い双葉山が新関脇にて優勝して以来の快挙であった。
 優勝をかけた令和4年春場所の千秋楽。横綱の照ノ富士は休場し、大関三人は優勝争いから脱落。優勝争いは3敗の琴ノ若、2敗の高安と若隆景の3人に絞られた。

 琴ノ若が勝って、高安と若隆景が負ければ、3敗が3人で巴戦となるのだが、琴ノ若が負けて4敗、優勝は高安と若隆景の二人に絞られた。
 あることか、千秋楽、高安も若隆景も破れ、優勝候補の3人すべてが破れるという千秋楽になった。最終的に高安と若隆景のこの二人による優勝決定戦となった。どちらが勝っても初優勝となるのだが。高安は大関経験者、体形からいっても経験からいっても高安に分があるのだが、技の仕掛けから言えば若隆景に分がある。どちらが勝っても不思議ではない。
 緊張極まる中、行事の軍配が裏変えり、優勝決定戦の火ぶたが切られた。押しつ押されつ、一進一退の攻防がはじまり、若貴景は土俵際まで押し込まれ、態勢が崩れ掛けた。これでお終いかと思った瞬間、折れ曲がった膝が土に触れるかと思ったが、若隆景の足腰は強靭でこの危機を乗り越え、若隆景の右手が高安の後ろまわしをしっかりとつかんだ。そのまま上手投げを浴びせ、高安の体が土俵の外に投げ出された。決まり手は「上手出し投げ」。若隆景が勝った。見事な優勝であった。


優勝杯を受ける若隆景

 今場所の若隆景は、前頭一枚目から格上げされ新関脇としての出場であった。身体の小さな若隆景だが、技を生かした戦いぶりは目を見張るものがあり、躍進も期待されていた。

 唯一の欠点と言えば四股名だろうか。若隆景(わかたかかげ)、早口で言うと、どんなアナウンサーでも舌を巻くという。テレビ解説をしていた元北の富士関も名前を言うのが一番ネックであると言っていた。四股名を変える力士もいるが若隆景はそのままでいい。


土俵に立つ若隆景

 若隆景は福島県福島市の出身。若隆景の祖父は小結・若葉山(時津風部屋・12代錣山)、父は幕下・若信夫(立田川部屋)、大波3兄弟として、兄は幕下・若隆元と幕内・若元春という相撲一家に生まれる。二番目の兄である若元春は今場所9勝6負で二場所連続で勝ち越しをしている有望力士である。

 福島市立吉井田小学校1年生から福島県の県北相撲協会で相撲を始めた。小学生時代は、柔道や陸上競技にも打ち込んでいたが、3兄弟の中で一番弱かった。福島市立信夫中学校を卒業するまでは全国大会に出ても1回戦敗退することが多く、全国で実績を残すことは無かった。
 2010年には2人の兄も進んだ学法福島高校に進学。2011年3月11日の東日本大震災では、高校の土俵が壊れたため、1ヶ月間、長兄の渡が所属している荒汐部屋で避難生活を送った。高校時代は3年次に全日本ジュニア体重別相撲選手権大会100kg未満級優勝、世界ジュニア相撲選手権大会団体優勝・軽量級2位などの実績を残した。

 高校卒業のタイミングで大相撲入りした2人の兄とは違い、自身は大学進学を選んだ。東洋大学法学部企業法学科に進むと、4年次には相撲部副主将となり、2週間前に右足首の靭帯を断裂して手術を受けたばかりの状態で出場した全国学生相撲選手権大会は団体で優勝、個人で準優勝の成績を残し、大相撲の三段目最下位格付出資格を獲得した。元々はプロに行ける体ではないと考えていたこともあり、プロ入りか実業団入りかで悩んでいたが、三段目付出資格を獲得したことで大相撲入りを決意した。
 学生時代の戦績は2014年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級第3位。2015年、東日本学生相撲個人体重別選手権大会115kg未満級 優勝。2016年、全日本大学選抜相撲宇和島大会団体優勝。全国大学選抜相撲宇佐大会団体優勝。全日本大学選抜相撲十和田大会個人第3位。全国学生相撲選手権大会団体優勝、個人準優勝である。
 本人は「大学で体も大きくなったし、相撲の技術も向上しました。あの4年間があったからこそ、今こうして大相撲の世界にいられるんだと思います」と後年振り返っている。


入門検査を受ける若隆景(右は福島県出身の元栃東関)

 卒業後の進路は大相撲入りを選び、2人の兄が所属する荒汐部屋に入門した。2017年3月場所で初土俵を踏み、四股名は若隆景となった。これは三子教訓状で知られる戦国武将・毛利元就の3人の息子たち。その中の三男、小早川隆景に肖った四股名である。同時に兄二人も改名し、毛利隆元と吉川元春(小早川隆景の兄)から名前を取り、それぞれ「若隆元」「若元春」と名乗った。なお、「若」の字は、祖父の若葉山と父の若信夫から来ている。初土俵の同期には炎鵬らがいる。

 今場所の優勝決定戦、高安の地元である茨城県土浦市、そして若隆景の地元の福島県福島市、それぞれ大勢の人々が大画面を目の前にしての大声援。
 両力士は大変練習熱心で、今回テレビ解説を務めた舞の海関は、両者に優勝して欲しいと語っていた。

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