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桜田門外の変、井伊直弼暗殺の武器はピストル 鳥取藩士が日記に記す

2022年03月28日 17:07 by minnycat
2022年03月28日 17:07 by minnycat

 鳥取県立博物館(鳥取市)は21日、鳥取藩士、安達清一郎(1835~84年)に関係する文書群から、大老・井伊直弼暗殺を指揮した水戸浪士、関鉄之介(1824~62年)が事件後に救援を求め、安達を訪れたことが記された日記などを公開した。

 井伊大老を「ヒストン」(ピストル)で暗殺したと言う関の聞き取りも記されている。 事件は安政7(1860)年3月3日朝に江戸城の桜田門外で発生。井伊らを水戸浪士らが襲撃し、殺害した。

 事件を指揮した関は鳥取に潜伏、交流のあった安達に救援を求めたという。その後も逃亡したが捕まり処刑された。 安達が事件を記したのは事件から約2カ月後で、関から事件の様子を聞き取り詳細に記していた。

 日記によると、襲撃の合図のピストルを発砲すると、護衛の武士が15メートルほど退き、井伊大老は「ヒストンノ玉胸先ニ中リテ死シ」などと死因も記していた。 博物館が岡山県津山市の個人宅に保管されていた安達の資料を調べて発見した。同博物館では4月17日まで今回の日記などを展示する。鳥取県立博物館で公開されている安達清一郎の日記=21日午後、鳥取市

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