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十津川郷士⑨御親兵多難-天誅組の変② 続き

2021年12月22日 22:16 by tama1

 天誅組と追討軍との死闘を横目に、郷里を目指した二つの隊は間道を迂回して郷土へ。

「十津川記事」によると、高野山越えの隊は九月十三日、北山越えの隊は一日遅れの 十四日に、それぞれ郷里に入り、先に帰郷しながら身動き出来ずにいた丸田藤左衛門ら と連絡、池穴村の竜蔵院に各村の代表を集め会議を開いたという。

 一方、その時点での天誅組は、大日川や白銀岳で追討勢と戦って打撃を受け、天辻峠の 本陣に退いたが、最強を誇った水郡善之祐ら河内勢が、首領の中山忠光を見限って戦線 を離脱。著しく戦力を低下させている。 そして、九月十四日、池穴村竜蔵院で代表者会議を開いたその日に天辻本陣が陥落。 忠光らは上野地に逃れてきていた。

 ところで、代表者会議での主税は、最近の京の政情を報告、天誅組には追討令が出てい て、十津川郷もこのままでは、討伐を受ける。それを避けるには天誅組を離脱し、彼ら を討ち取らねばならない。

 中川宮から下された前後二通のお沙汰書と、小判百両を、本尊阿弥陀如来像の前に 並べ説明しています。 知らぬ間に朝敵にされ、追討軍が目前に迫っていると知った十津川郷士たちは、さすが に色を失ったが、この上はただちに天誅組から離脱し、郷兵を全員引き上げさせること に決めました。

 ただ、郷内にいる天誅組の残党を討ち取れという、二通目のお沙汰には、「いくら勅命 でも、昨日までともに戦ってきた同志を討つのは情が許さぬ」と、そろって尻込みした という。吉村寅太郎の徴兵に応じて、何日か天誅組と行動を共にしている間に、彼らは すっかり天誅組に魅せられていた。

 それは、隊士らが何事も天皇第一に考え、己を捨てて働いている姿を目にして、これこ そ志士の鑑だと感銘したからであった。だから、勅命だと欺かれ、生死のはざまを彷徨 させられたとわかっても恨みや憎しみよりも、なぜそういうふうになったのかと訝る気 持ちの方が強かったようです。 郷士達の話し合いの結論はなかなか出なかったが、最後に、主税が決断を下した。

 天誅組と同士討ちをしたくないという、皆の意を取り入れ、かつ、朝廷の命にも背けぬ という、苦肉の案として、「天誅組に郷内から退去してもらおう。私に成算がある。 まかせて欲しい」との提案に落ち着いたといいます。

 主税が天誅組宛てに書いた離脱の通告は、勅命などと偽って素朴な郷民をあやつり、郷 を危機に陥れたことは許し難いが、危急の際でもあり、深く追求はしない。 ただ、朝敵とされ、追討令まで出た以上はもう協力はしかねる。

 十五日昼九ツ(正午)を もって郷兵全員を除隊させ、麾下の本隊も速やかに十津川から去って欲しい。追討軍も まだ進駐していないから、今のうちなら安全な脱出を保証できる、というものでした。 そして、離脱の通告はその日(九月十四日)の夜半、上野地村の東雲寺に居た中山忠光 のもとに届けられた。使者に立ったのが風屋村の前田雅樂でした。

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