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【幕末維新折々の記・二十五】日本銀行本店本館

2021年12月23日 21:08 by tange


 明治15年(1882)に開業した我が国の中央銀行である日本銀行は、江戸時代の金座の跡地に本店社屋を建設する。それは現在、日本銀行本店本館と呼ばれ、中央区日本橋本石町に創建時の姿をとどめている。地下1階、地上3階、ルネサンス様式を加味したネオバロック様式の本格的な西洋建築で、23年(1890)に着工し29年(1896)に竣工している。昭和49年、国の重要文化財に指定された。
 日銀本店の設計者は、日本近代建築設計の先駆者、辰野金吾である。辰野は、嘉永7年(1854)8月、九州の唐津藩に生まれる。大正3年(1914)に完成した東京駅丸の内駅舎の設計者としても知られている。

 日銀本館は重厚な石造建築のように見えているが、実際は石積み煉瓦造である。つまり構造用煉瓦を組積し、その外側に石を積んだり貼ったりした構造なのだ。
 辰野は、当初日銀本店を石造建築として計画していたが、着工の翌年10月に岐阜県を襲った濃尾地震による甚大な被害を調査した結果、耐震のために建物重量の軽減を図る必要に迫られていた。建造物は、一般的に軽ければ軽いほど耐震性を増すのだ。
 辰野は、1階・煉瓦造に花崗岩積み、2階・普通煉瓦造、3階・穴あき煉瓦造と設計を変更し、全体の重量を軽くしようとした。大地震の発生時にも中央銀行が機能し続けることを最優先に考えたのだ。さらに、それまでに工事は大幅に遅れ、工費が予定を大きく超えていたことも変更の要因となった。
 この提案に、時の日銀総裁(三代)・川田小一郎が烈火のごとく怒った。川田は、株主に対して本店の建物は石造であると説明してきているので、今更煉瓦造に変更などとんでもない、と言い放った。土佐出身で岩崎弥太郎の三菱財閥創業時の功労者だった川田は、簡単に引き下がらなかった。辰野は建物の耐震と外観の板挟みになり、先に進めなくなってしまった。
 この窮地を救ったのが、後に総理、蔵相を歴任する高橋是清だった。

 実は、高橋是清と辰野金吾には、それまでに深い縁があったのだ。
 高橋是清は、嘉永7年閏7月、江戸の芝で生まれている。つまり、辰野とは同い年だった。この出生から昭和11年の2・26事件で暗殺されるまで、高橋の生涯は実に波乱万丈だった。
 明治4年(1871)、18歳の高橋は唐津藩の英語学校・耐恒寮の教員となる。そこで辰野と出会い、14歳で渡米し苦境のなか修得した英語を教えるとともに、東京に出て勉学することを助言していた。辰野は、そこを去った高橋の後を追って上京し、彼の勧めで工部大学校造家学科(現、東京大学工学部建築学科)の一期生となり、英国から来日したジョサイア・コンドルのもと建築学を学ぶのである。
 辰野が日銀本店の工事で立ち往生していた時、高橋は南米ペルーの銀採掘にまつわる詐欺に遭い、農商務省特許局長という地位と全ての財産を失っていた。そして、川田日銀総裁に救われ、本店建築事務主任に就いていたのだ。

 高橋は、2,3階の煉瓦造はそのままで外側に薄い石(安山岩)を貼って化粧し、一応は石造に見えるという設計変更を提案した。川田総裁を説得し、何とかその了解も取り付けた。建築学には全く無縁の高橋の変更案は、川田の面目も立ち、辰野の耐震性についての心配も解消する見事な提案だった。
 さらに高橋は、工事を請け負っていた大倉組を解約して直営工事とし、特に工事の遅れの原因となっていた石工事について、四人の石工頭に四方から競争で施工させた。それは、信長の居城、清州城の石垣積み工事を複数の工区に分け競争させて迅速な完成を図った秀吉の割普請(わりぶしん)を彷彿とさせるものだった。
 こうして日銀本店は、着工後に大地震(濃尾地震)と戦争(日清戦争)という重大な事態に遭遇しながらも、予定の二年遅れで完成した。当時としては画期的なことだった。常日頃は仕事に厳しい川田小一郎も、辰野金吾を絶賛した。
 さらに、その構造体は大正12年(1923)の関東大震災にも耐え、充分な耐震性を具備していることが証明された。

 今、日本銀行本店本館の前に立つと、分野はそれぞれ違っているが、我が国の近代化にその生涯を捧げた男たちが思い出される。建築家・辰野金吾、実業家・川田小一郎そして政治家・高橋是清の三人である。
(鈴木 晋)



日本銀行本店本館


次号、「東京丸の内駅舎」


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