バックナンバー(もっと見る)

2020年07月号 vol.33

笹竹は古くから厄よけの力を持つ聖なる植物とされていました。江戸時代に願いご...

2020年06月号 vol.32

152年前の5月に奥羽列藩同盟が結成され、仙台藩をはじめ同盟軍がこぞって白...

2020年05月号 vol.31

2020年は会津藩が下北半島に流転棄民されてから150年を迎える、下北半島...

ザ・戊辰研マガジン

2020年03月号 vol.29

読書の歴史

2020年03月06日 20:53 by norippe

 明治期に日本人の読書生活は大きく変化したという。新聞、雑誌といった新しいメディアの誕生や活版印刷の普及といった諸事情は、それまで「音読」が中心だった日本人の読書という行為を「黙読」へ変化させた。また、貸本屋に代わって図書館という新しい読書空間が誕生したのも日本が近代化した明治以降のことである。

 江戸時代は、出版業が発展し、読書人口が大きく拡大した時代で、多くの人びとが小説類や軍書、実録などを楽しむようになった。この時代、出版業者と読者とを結びつける役割を担ったのは、貸本屋であった。期限を定め、見料をとって本を貸す貸本屋は、江戸中期以降増加して行った。19世紀初期には、大坂に300人の貸本屋がいたと伝えられている。江戸期の貸本屋は、背に大量の本を背負い、得意先を回るという形態が一般的であったようだ。こうした貸本屋も、明治に入ると、新聞や雑誌が普及する中で衰退していくことになったのである。

 江戸時代から明治前期までの読書スタイルは、文章を声に出して読んでいく音読が一般的で、家族やグループといった集団で読んでいたという大きな特徴があった。活版印刷が普及するとともに、ひとりで静かに黙読するというスタイルに変わっていったが、明治30年代頃までは、ひとりで音読したり、書物を読み聞かせたりといった習慣が残っていたのである。

 明治前期には、人びとは公共の空間においても、声を出して書物を読んでいた。図書館はそんな中にあって、音読禁止を明確に打ち出した施設であった。やがて公共空間での音読はなくなって行ったのである。

 幕末期にオランダからの外国ニュース『和蘭風説書』が廃止され、新聞が献上されることになった。東インド(現インドネシア)のバタビアにあったオランダ総督府の機関紙『ヤバッシェ・クーラント』を翻訳、抄録した『官板バタビア新聞』が日本人の最初に発行した新聞として1862 (文久2)年に誕生した。さらに 1868 (慶応4)年、国内のオリジナルな情報を掲載する『中外新聞』が発行されるにいたった。
 しかし、発行部数は『官板バタビア新聞』で 100部、『中外新聞』でも1500部程度と推定されていて、新聞が普及したといえる状態ではまだまだなかったのである。

 文明開化によってさまざまなものが日本に入ってくるようになり、日本の書物のスタイルを変えていった。それまで木版で印刷していたものが、活版で印刷するようになり、飛躍的に印刷量が増加した。『印刷文明史』には同じ雑誌の木版、活版の違いが比較できるページがあるが、活版の方が明らかに見やすく多読、流し読みに向くことがわかったのである。

 江戸川柳に「かやば町 手本読み読み 舟にのり」 とある。江戸・茅場町の 寺子屋に渡し舟で通う子どもの様子で、読んでいた手本とは「往来物」と呼ばれた教科書だ。 進学のない時代にずいぶんと勉強熱心である。「教育は欧州の文明国以上に行き渡っていた。アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、 日本では男も女もみな読み書き出来る」。これはトロイアを発見した考古学者、シュリーマンの日本観察である。「みな読み書き」は言い過ぎにせよ、幕末や明治に来日した外国人はその故国と比べて日本の庶民、とくに女性が本を読む姿に本当に驚いている。歴史的には折り紙つきの日本人の「読む力」だが、その急落を伝える試験結果がここにある。
 79カ国・地域の15歳を対象に3年ごとに行われる国際的な学習到達度調査(PISA)で、昨年の読解力の成績が前回の8位から15位へと低下した。科学や数学の応用力の成績が上位に踏みとどまった中での際だった学力後退という。「テスト結果に一喜一憂するな」と言いたいところだが、この成績低下、思い当たるふしがあるのが辛い。何しろ本を読まない、スマホに没頭する、長文を読んで考える習慣がない… 止まらない活字離れを指摘する専門家が多い。以前はゆとり教育からの路線転換をもたらしたPISAのデータだが、"読解力はV字回復の後に再び低落した。川柳子や幕末の外国人を驚かせたご先祖たちに教えてもらいたくなる「楽しく読む力」である。

 「橋をかける子供時代の読書の思い出」はインドで開かれた国際児童図書評議会の世界大会でビデオ上映された上皇后美智子さまの基調講演を収録したものだ。「読書はある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。この根っこと翼は、私が外に内に、橋をかけ、自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。
 美智子さまは、さまざまな悲しみが描かれている本によって自分以外の人がどれほど深くものを感じ、深く傷ついているかに気付かされたという。被災者や障害のある人へのいたわりに通じているのかも知れない。
 また、美智子さまはこうも述べている。「読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」
 いつの時代でも子供たちが根っこと翼を持ち、いつか平和を築く橋に育ってくれれば。上皇后となってからも、子供たちを見守り続けるのだろう。

 下の写真は会津藩主松平容保公と家族達の写真で、容保公が本を持って読書している姿が写っている。またその横に同じく本を持っている女性がいる。一説には照姫だろうと言われている。



(記者:関根)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2020年07月号 vol.33

笹竹は古くから厄よけの力を持つ聖なる植物とされていました。江戸時代に願いご...

2020年06月号 vol.32

152年前の5月に奥羽列藩同盟が結成され、仙台藩をはじめ同盟軍がこぞって白...

2020年05月号 vol.31

2020年は会津藩が下北半島に流転棄民されてから150年を迎える、下北半島...