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ザ・戊辰研マガジン

2020年03月号 vol.29

新選組隊士大和宇陀に来る! その1

2020年03月02日 18:42 by tama1

テーマ:新選組史跡

戊辰戦争研究会「戊辰研マガジン」を読んで頂いているみなさまに、ちょっとマイナ-な史実かもしれませんが、二三、紹介させていただきたいと思います。

  まずは、新選組と大和からをテーマに みなさんは、大和宇陀松山(現奈良県宇陀市大宇陀松山地区)に二人の新選組隊士が出張して来ていることをご存知でしたか?知っている方はかなりの新選組通といえるのではないでしょうか。かく言う私も新選組検定初代1級取得者であり、現在は新選組研究家としてご活躍されているブロ友Jさまのブログ「新選組徒然日記」を拝読していて、初めて知るにいたり、えっ?大和に新選組??・・驚くやら、何やらウ・レ・シ・イやらで早速図書館に行って「大宇陀町史」に目を通してまいったことを思い出しています。

 

             奈良大宇陀観光イラストマップ

  宇陀というところ、何から説明していいか、というほど古代から戦国、江戸時代と歴史好きには堪らない魅力ある奈良の奥座敷です。中でも古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場としながらも景観を保ったまま残っている松山地区が私は大好きで、自宅から近いということもあって年に幾度も訪れているお勧めの場所です。

             松山町古図(宇陀市教育委員会蔵) 

宇陀松山というところ、

★天正13年(1585)国人領主秋山氏から豊臣秀長が大和郡山に入るとともに、その家臣伊藤義之が秋山城に入り、以後15年間、豊臣系大名が治めています。

★慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで福島高晴(福島正信の息子)が軍功を挙げ松山城主となり、徳川系大名となって秋山から松山城と呼ばれています。

★元和元年(1615)織田信雄(信長の次男)が宇陀松山藩に入部。織田家の国元となり、四代、信雄、高長、長頼、信武の80年間の織田松山藩が始まり、400軒を超える商家が賑わっていたそうです。

★元禄8年(1695)織田家はお家騒動から兵庫県柏原へ国替えとなり、以降天領となる。

 と、まあこんな風な歴史の経緯を踏み、新選組の二人の隊士がやってくる幕末、慶応2年(1866)12月の松山地区は、元来、奥宇陀・吉野・伊勢方面と奈良盆地をとを結ぶ地の利から、薪炭や木材、特産品の吉野葛、宇陀紙などの集約地として「宇陀千軒」と呼ばれる繁栄を誇り、薬問屋や紙問屋を始めとした各種問屋や小売商などが軒を並べていたそうです。

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