会津藩主も愛した庭園「攬勝亭」...宅地に開発
2020年02月28日 付 福島民友より
会津三庭園の一つに数えられ、会津藩主にも愛されたという会津若松市柳原町の日本庭園「攬勝亭(らんしょうてい)」が宅地として開発される見通しとなっていることが27日、分かった。造成されれば、庭園の形状が失われることになる。専門家は「文化財的な価値があり、会津の築庭史研究にとっても重要な庭園。残念としかいいようがない」と肩を落とす。
攬勝亭は、江戸時代に藩士の身分を持つ豪商だった長尾氏の邸宅内にあった庭園で、会津藩初代藩主の保科正之によって命名されたという。後に江戸時代初期の代表的な作庭家・小堀遠州の流れをくむ目黒浄定によって修景されたと伝わる。長尾氏の邸宅は戊辰戦争で焼失したが、庭園は残され、歌人の与謝野晶子など著名人も訪れた。
近年は手入れが行き届かず、草が生い茂る状態となっていたが、茶室とされる建物や、庭園を訪れた会津藩主松平容保(かたもり)の歌碑などが残されている。
ともに会津三庭園と称される御薬園(同市花春町)は国指定名勝、可月亭(同市材木町)は敷地内の建物が国の登録有形文化財となっているが、攬勝亭は未指定だった。関係者によると、市教委が文化財としての価値を確定するため調査しようとしたが、当時の所有者と調整が付かず断念したという。
攬勝亭の敷地は、仙台市の不動産会社が購入。会津若松市は、同社からの開発許可申請を昨年12月に許可した。市教委は「開発を止める法的な根拠がない。できるだけ図面や写真で記録する方向を探りたい」とする。同社は取材に、宅地造成を進める考えを示した。 県文化財保護指導委員の長尾修さん(71)=同市=は「文化財指定の網を掛けることができなかったことが悔やまれる。市内には未指定で文化財としての価値が高いものが多くあり、取り組みが必要だ」と指摘した。
「攬勝亭」に付きまして!
数百年間長尾氏が住んで居た邸宅の庭であり、歴代会津領主が訪れた名庭園です。与謝野晶子も訪れた記録があります。特に松平容保公と親交の深かった長尾義俊、長尾和俊の住んで居たところです。容保公から230石を与えられました。 埋蔵文化財(少なくとも中世近世の陶磁器類は埋蔵されていることは確実です。 長尾氏本家の長尾義俊様、長尾和俊様の住んで居た居宅の庭園です。この方々は、松平容保公と特に親交の深かった人たちです。
保存にご尽力をお願い申し上げます。私、現在福島県文化財保護指導委員会津若松地区担当及び会津若松市文化財巡視員の役職在任中ですので、多少発言権があります。攬勝亭に縁の1人であることも、なにがしかの因縁でしょうか!病身ながら命を削っても攬勝亭保存に向けて最大の努力をしております。ご理解とご支援を伏してお願い申し上げす。 長尾修
読者コメント