ザ・戊辰研マガジン

2018年12月号 vol.14

桜宝寿のいろいろ感想、33回「糸の誓い」

2018年11月21日 20:01 by moomin6001

桜宝寿のいろいろ感想、 「西郷どん」第33回「糸の誓い」  

  鹿児島の夜空の下で  慶応2年の寺田屋騒動は、あっという間に終わってしまいました。文久2年の薩摩 藩士の上意討ちの方は、迫力のあるドラマになっていましたので、こちらは如何にと 思っていましたが、あっさりでした。お龍が助けを求めるために駆け込んだ伏見薩摩 屋敷の絵図が、NHK主催の「西郷どん」展で展示されていました。屋敷の前の下板 橋(今もあります)が描かれていて、ここをお龍が渡って、多分、裏門の木戸をたた いたのだろうと、絵図を眺めながら当時の様子を偲ぶことができました。

 寺田屋で負傷した龍馬は薩摩藩二本松屋敷へ移送され、そちらで養生した後、薩摩 へ帰る吉之助に同行することになり、大坂蔵屋敷で船待ちをします。その後、天保山 沖から船に乗って、薩摩へ・・世にいうお龍との新婚旅行に出かけました。

 鹿児島城下の吉之助の家に世話になっていた龍馬です。第2次征長の報を聞き、早 朝、戦さの視察に出ていく龍馬を見送りに出てきた吉之助の妻、糸に世話になったと 龍馬は頭を下げていました。このあたりの龍馬の描き方、うまいですよね。龍馬は奔 放にふるまってはいますが、育ちのよさと可愛げがうかがえます。

 吉之助の家で小松と龍馬が夜空の下、密談している場面、いいですねぇ。話題は天 下国家で・・、これぞ、大河ドラマの醍醐味です。こういう場面を見たくて、長年、 大河ドラマを見ている筆者です。来年の大河はこれがないのですよね。再来年の織田 家中、明智光秀の物語に期待しています。

 今回のドラマでは、徳川家は「敵」なので、将軍家茂の影は薄いですが、この方が 世の中の威勢のいい攘夷の声に押されて、攘夷戦なんてことを決心していたら、今 頃、我々は日本語を話していなかったかもしれません。家茂は慶応2年7月20日、 大坂城本丸御殿で亡くなりますが、21歳の無念の死でした。1か月、その死は伏せ られ、慶喜が15代将軍になることが決まった後、やっとその死が公表され、遺体は 天保山沖から軍艦に載せられて、品川沖へと帰還しました。1か月、遺体のまま、大 坂城にいたのですねぇ。

 吉之助とパークスの会談、見ごたえがありました。吉之助の交渉力は魅力的です。 事前の情報仕入れ(パークスはシェリー酒が好きだとか)に、度胸が半端ないのと、 相手の本音を引き出すのがうまいのと・・、陸軍大将より外務大臣の方が向いていま す。

 「民をないがしろにする政治はたちいかない。」だから、徳川の政治から天皇親政 の自分たちの政治にするのだと主張する吉之助です。もっともなことです。ただ、 「ブラタモリ」の那須編を見ていたら、明治18年、那須高原に華族たちが広大な自 分たちの農場を経営するために、速攻で用水路をひいたという話が出てきまして、タ モリさんは「華族ファースト」だなとおっしゃっていました。「革命」も第2世代に なると、そうなるようです。  龍馬が伏見の寺田屋から逃れた後、隠れた材木小屋跡の石碑です。

 

石碑は橋の近くにありますが、実際の小屋跡はこの壕川の川辺あたりでしょうか。

 龍馬が療養した薩摩藩二本松屋敷跡です。

現在は同志社大学です。  立派な銘板が新しく建てられていました。

 天保山公園に江戸期の当地を描いた絵を陶板にしたものが展示されていました。江 戸期には天保山は行楽場でにぎわっていました。幕末期になると、プチャーチンが ディアナ号でここに乗り込んできて、天保山一帯は変形五稜郭のような台場に改造さ れます。明治中期まで、軍事施設になりますので、庶民は立ち寄れなくなりました。

 最近、天保山公園に設置された地図に、楽しい龍馬とお龍のイラストが載っていま した。

 灯篭には、龍馬のポスターも展示されています。

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