2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
「勝っても賊軍、負けても官軍」、これが明治以降の日本の真実のはずだった。これを覆したのが明治新政府であった、もともと武力による軍事クーデターが政権の基であることから、政権の正統性を自分たちに都合よく歪曲したのが「勝てば官軍」だった。
しかし会津藩主・松平容保公の死去後に発見されたという孝明天皇からの御宸翰は、明治22年に明治天皇に1か月の間閲覧されたという。明治期に会津藩こそが官軍であったことは朝廷は認識していた。だが時の総理大臣山形有朋はこのご宸翰の存在の公表を止めたという。
そうであろう、明治新政府の存立時代が危ぶられることになる。官軍として諸国から兵站を供出させ会津や東北を攻め立て、義無き戦争を仕掛けたのは官賊であった。
薩長こそが賊軍であった。
記事テーマ:【幕末維新折々の記・二】七卿落ち
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記事テーマ:戊辰戦争後の松平容保公
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東禅寺山門 東京都港区高輪3-16-16 東禅寺は山号を佛日山。宗派は臨済宗妙心寺派の別格本山。創建は慶長14年(1609)開基は伊東裕慶、嶺南崇六(開山)。正式名は海上禅林佛日山東禅興聖禅寺という。 そう、東禅寺は幕末に日本初のイギリス公使館が置かれたとこ…
記事テーマ:一八六八年の会津藩」
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横須賀の老舗「精栄軒」のおりょうと「龍馬の愛したかすていら」を私が幕末ファンだと知っている横須賀の友人から贈って頂きました。当時のレシピで再現されたものだそうです。慶応二年、一月二十三日、寺田屋で受難し、手首に傷を負った龍馬は西郷隆盛の進言もあり、妻のお龍を…
記事テーマ: 会津藩塩川本陣近江屋跡に白虎隊士飯沼貞吉の記念碑設置
2019年9月23日に福島県喜多方市塩川の東邦銀行塩川支店敷地に白虎隊士であります飯沼貞吉ゆかりの地の記念碑を設置し序幕しました。江戸時代の塩川は米沢街道の宿場町として栄え、この地にあった近江屋は会津藩本陣として使われておりました。会津の歴史研究家石田明夫様…
学問のすすめは「危険」「学問」にはいろいろあるが、ここでいう「学問」は子供に対する「強制」のような「勉強」をさす。京都西陣織りあたりに、西陣織と友禅染を教えるところがあります。なんと、学んでいる人たちほとんどが中国人です。日本人は、ほとんどいません。それは、…
記事テーマ:会津坂下町
会津坂下町は、会津盆地の西部に位置しており、美味しいお米がとれることでとても有名です。皆さんは、会津坂下町を正確に読めますか?普通の読み方は「あいづさかしたまち」ですが、本当は「あいづばんげまち」と読みます。会津坂下町の人口は、1万5千人。私は、父親が公務員…
記事テーマ:「長州憎し」いまだに存在 会津の市長に胸中を聞いた
2019年11月23日に開催されました会津若松市政120周年式典に萩市長が初めて公式に出席した反響について、当マガジンで3号連続で投稿します。2019年12月26日に朝日新聞デジタル記事として掲載されました内容を紹介します。【祝賀会場で成田真一会津若松市議と…
記事テーマ:今月の戊辰研お薦め本&お買い得本
【新発売!】◆『武士道の英雄 河井継之助』 「尊王だと?中身も知らず、何をほざく! 長岡に兵、金を出せだと?ふざけるなや!!」 理不尽かつ横暴な薩長軍に敢然と立ち向かった長岡の雄! 類まれなるリーダーシップと強い正義感、時代の先を読む鋭い目を…
記事テーマ:戊辰戦争研究会ホームページのご案内
戊辰戦争研究会のご案内です。掲示板や論文コーナーがあります。会員募集中ですので、加入希望の方はホームページの「入会案内」をお読 みになって「メール」にてご応募ください。下記バナーをクリックで「戊辰戦争研究会ホームページ」が開きます。どうぞご活用ください。
記事テーマ:「ザ・戊辰研マガジン」のバナー掲載
当マガジンはネットで見るマガジンです。 パソコンは勿論ですが、スマホ等のモバイル機器で見る事が出来ます。 このマガジンの閲覧統計を見ますと、約4割の方がモバイル機器で閲覧しておられます。 ザ・戊辰研マガジンでは下記のバナーを用意してあります。 ホームペ…
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新年明けましておめでとうございます。今年の干支は辰。辰年は政治の大きな変化が起…
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