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会津三庭園の一つ攬勝亭が開発の危機!

2020年04月04日 23:08 by minnycat

みんなで守ろう!保存活用に向けて目下奔走中!(続報)

戊辰戦争研究会会員 會津 山川健次郎(長尾 修)

  攬勝亭は、宅地造成の開発計画が進行中で,消滅の危機に瀕 しています。攬勝亭は会津の歴史的文化遺産であり、観光資源、さ らには未来へ継承すべき重要な文化財遺産である事は間違いのないところです。会津若松市民、会津地域はもとより、全国規模で攬勝亭保存活用の世 論が高まってきています。攬勝亭の保存活用は、誰しも意義を認 める事案です。新聞報道によると会津若松市教育委 員会文化課ではかつて攬勝亭の文 化財的評価や文化財指定を打診し たそうですが、「当時の所有者が辞 退された」との記事になっております。会津三庭園の一つ可月亭が整備(2018年5月オープン)された頃との未確認情報がありますが、いつ誰が元所有者と交渉したのか、交渉は、事実かどうか確認していますが、調査中とのことで、現在までに会津若松市当局からの正式な回答はありません。会津若松市当局がいう「元所有者が辞退したので、文化財指定 を諦め、元所有者の意向を尊重して断念した。現在、保護する法的根拠が 無く、残念。」(市当局者の新聞取材回答記事?)で看過する事案ではないことは、誰しもが理解出来るであろうと考えます。文化財指定が出来なか った経緯を考えれば、どのようにすればこの困難な事態を好転し得 ることが出来るのか、市当局は、 知恵を絞るべきだったのです。このような会津若松市当局の調査不足、認識不足、努力不足等々の経緯を考えれば、今宅地開発消滅の危機にある攬勝亭の保存 活用を図るために各位が行動することは正当な行為であると考えています。では、何をなすべきか本気で考えるならば、多く の方々と共に知恵を絞り、それぞれの立ち位置から実効性のある行動をすること が急務です。実際、今回の新聞報道等によって、多く の方々が保存活用の方策を考え、 提言し、それぞれの立場で尽力さ れています。ネット上でも話題になり、全国的規模で、攬勝亭保存活用を望む世論が高まっています。

  令和2年2月28日付福島民友新聞、2月29日付福島民報新聞が相次いで報道した「『攬勝 亭』宅地に」の見出しに驚いた方も多かったことでしょう。会 津若松市柳原町二丁目の日本庭園「攬 勝亭」が宅地として開発が進んで いることが判ったという内容の報道でした。これらの新聞報道によれば、仙台市の不動産 業者が購入、会津若松市は昨年 十二月に同社からの開発許可申請を許可しました。 御薬園、可月亭とともに「会 津三大庭園」と称された攬勝亭 は所有者の意向から非公開(平成28年前後から)の状 態で、数年手入れもされず、庭師も入れず、元所有者によるナタやノコギリ等によって伐採された細竹や樹木の枝が庭前面に敷き詰められ、放置されていたので、素人目には荒れた古い庭にしか見えないと思います(重機で破壊されているわけではなく、古写真等もあるので、復元は容易です。)地元からは、攬勝亭の整美活用を望む声があがっていたといいます。攬勝亭の庭園区画部は、中世からの豪族居館跡の可能性があるとの指摘もあり、目下古い地籍図や古い空撮写真等々で調査中です。また、会津藩関与の会津最古級庭園遺構であるともいわれ、古文献資料等などからも調査が進められています。かつて栄華を誇った会津藩関与の修景である歴史的日本庭園であることは間違い なく、このまま傍観していては 会津の文化遺産・観光名所がまた一つ消滅 してしまいます。攬勝亭の名は会津若松市史他、 多くの歴史書・観光案内関係のパ ンフレットに古くから記載されて おり、攬勝亭が全国的にも周知さ れている名庭園であることは明確らかです。近年は非公開でしたので、 会津若松市民の方々でも攬勝亭を 知らない若い人が多いのも事実です。(高齢の方々は、ほとんど重要性を知っています。)

 この機会に攬勝亭という歴史的文化遺産の存在を、是非多くの方々に知っていただき、保存 活用に向けての御理解とご尽力を 賜わりたいとお願いする次第です。この、記事が皆様に読 まれる4月頃には事態が好転している か、より厳しい状態になっている か予断を許しません。しかし、事 態の推移を正確に把握記録し、法 的根拠が無いなどと傍観していた 人達だけでは無いことを記録として後世に残 すことも必要と考えております。ぜひ、皆様方お一人お一人の保 存活用対策の意志(民意)を会津若松市当局(室井照平会津若松市長宛)に 届け下さいますようにお願いを申し上 げます。未来への遺産(歴史的文 化遺産・観光資源)を何としても 守り抜きたいと考えています。精密測量調査や多方面からの文化財調査を実施するには、開発側(元所有者から買収、登記済み)から工事着工前に会津若松市が買収する以外道はありません。攬勝亭(凡そ3200㎡、約1000坪)買収には国庫補助8割に該当する事案と考えられます。文化庁記念物課Ⅱ課資料収集調査中!福島県議会副議長攬勝亭現場視察!日本考古学会埋蔵文化財保護対策委員会関係資料収集調査中!会津若松市各界(各市議会議員 各経済界、各文化団体 各業界 個人 有力者)の方々が保存活用に向けて奔走中!「仮称 攬勝亭を守る会」立ち上げ準備(ウイルス拡散防止集会禁止が解除がとなれば保存会の記者会見、TV会見を可月亭で予定!)など状況は、少し好転し始めているようです。令和2年2月21日、攬勝亭事案が表面化して以来、戊辰戦争研究会の星総裁様、伊藤会長様、高橋事務局長様をはじめ、会員各位様方のご理解とご尽力が大きな力になって世論を高揚させたことは間違いありません。誠にありがとうございました。この攬勝亭保存活用を要望する「燎原の火」を燃やし続け大きな火となりますよう、引き続き皆様方ご理解とご尽力を賜りますように重ねてお願いを申し上げます。(※Facebook 攬勝亭を守る会 等検索 で 最初情報が入手できます。)

 庭園「攬勝亭」について ....................................

 天元年間(九七八~九八三)、 風光明媚な庭(豪族居館付属の庭?!)があり、後世会津松平家藩祖保科正之公が攬勝亭の呼称を与えたと伝 わる。一説によれば、三代松平正 容公の時に御薬園(樂壽亭)や可 月亭を築庭したと伝わる、近江の大名茶人で作庭家でもある小堀遠州の流れを汲む目黒浄定によって攬 勝亭も修景されたと伝わる。天文十二(一五四三)年、蘆 名家(蘆名盛舜?!)の客分であった越後国三条長 尾氏系の長尾信景が柳原の地をい ただき、以後、後裔が明治初期ま で数百年の間、攬勝亭所在地(現在柳原二丁目)に居住していた。歴代の会津領主が訪れた庭としても記録されており、特に松平容保公は攬勝亭 の主であり、義の人といわれた長 尾源内義俊や、忠義の人といわれ た長尾源治和俊が住んでいた邸宅の庭が攬勝亭である。戊辰戦争では會津軍団の朱雀隊・青龍隊およそ300人の屯所とな っていたため、館は薩摩十八番隊 によって火を放たれ焼失した(「己 巳年明治見聞誌」より)が、庭の 攬勝亭茶(大正10年代に復元)は現存して いる。なお、焼失前の邸宅は会津の絵師大須賀清光によって描かれており、この屏風絵は、福島県立博物館に寄託品として保管されている。 攬勝亭の庭園内には、松平容保公の歌碑や天文十二年(1543年)以降の攬勝亭の歴史的事項を記した攬勝亭碑文、数基の古石灯籠、石造建造物、三峰神社社、稲荷神社社、庭池などが現存しており、会津若松市に残る古い荒れ庭と同列に捉えることは出来ない庭であることは明白である。

 

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