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ザ・戊辰研マガジン

2019年11月号 vol.25

コーヒーブレイク

2019年11月06日 22:41 by kohkawa3
2019年11月06日 22:41 by kohkawa3


その五十五 坊やの父ちゃん

 子供の頃、同じ町中に「ぼうやのとうちゃん」と呼ばれるおじさんがいた。
 私はずっと「坊やの父ちゃん」だと思っていた。坊やに父ちゃんがいるのは当たり前にしても、普通「○○ちゃんの父ちゃん」とか言うだろう。坊やっていったい何者だと思っていた。
 父ちゃんが「藤十郎」さんの藤ちゃんで、坊やは商売の屋号の「棒屋」、つまり「棒屋の藤ちゃん」だということを知ったのは大人になってからである。
 棒屋の藤ちゃんは荷馬車や大八車などの車軸を作ったり、修理をしたりしていた。運送業務になくてはならない職業であった。
 私が子供の頃(昭和30年代)は、稲藁をうず高く積んだ荷馬車が、時をり街中を往来していた。その頃には広い道路はあらかた舗装されており、舗装道路を馬がパカンパカンと音をたてながら歩いていた。たまに尻尾を上げては、歩きながら”まんぐそ(馬糞)”を落としていった。まんぐそが乾くと藁の細い繊維が道路にへばりついていた。「ああ、馬はほんとに藁を食ってるんだ。」などと妙な事に感心したのを覚えている。
 棒屋の藤ちゃんは商売柄顔が広かった。しかし、たまに知らない人がいると不思議な会話があったらしい。
「おーい、藤ちゃん呼んできてくれ。」
「父ちゃん?誰の?」
「棒屋だよ。」
「坊や?どこの坊や?」
「だから、棒屋の藤ちゃんだよ!」
「だから、どこの坊やの父ちゃんだよ?!」
 これでは、話が噛み合わない。
 藤ちゃんの棒屋は時代の流れで、その役割を自動車にとって変わられ、店じまいをした。そして、今度は自動車整備工場に生まれ変わった。
 あとを継いだのは、もちろん藤ちゃんの坊やである。


その五十六 170の壁

 今年も健康診断の季節がやってきた。ここ数年は、まずまずの健康状態である。
 しかし、ひとつ気になることがある。50代の頃まで171センチあった身長が、170にとどかなのである。最近は電動の身長計で、ミリ単位まで正確に計測する。
 61歳の時の検診結果は169.9センチであった。翌年から身長170センチをクリアするための戦いが始まった。
 62歳の検診では、前の年靴下をはかなかったことに思い当たり、厚手の靴下をはいて計測した。しかし、結果は変わらなかった。
 私は身長計測に関しては、頭の上の毛がないというハンデを背負っている。かといって、こっそりカツラをかぶってカサ上げするなどという姑息な手段はとりたくない。
 1ミリ、2ミリは首を伸ばしたり、腰を伸ばしたり、O脚を矯正したりと工夫すればなんとかなると思ったが、今のところ無駄な努力に終わっている。現状維持がやっとなのだ。
 先日、4度目の挑戦を試みたが、たぶん結果はこれまでと変わらないだろう。
 年々身長が縮んでいるという恐ろしい現実を、そろそろ受け入れる時が来たのかもしれない。


その五十七 ああ勘違い

 ある女流漫画家が自らの体験を漫画に描いていた。
 18才の頃、漫画家を目指して東京に出てきた。安アパートに住み、漫画家の修行に励んでいた。食事はもっぱら街の中華料理屋や定食屋で済ませていた。
 そのころ近所に気になる食堂があった。入口のガラス戸の上の看板に、店の名前と一緒に大きく「餃子」とかいてあった。何て読むんだろう。「さめこ」だろうか。サメ料理?どんな料理だろう。
 ある日勇気を出してその店に入り、メニューの「餃子」を指差して「これください」と注文した。思ったよりも安い。
 出てきた料理はギョウザに似ていた。食べてみるとギョウザである。店の人に聞いた。
「すみません。これギョウザですけど。」
「そうだよ。ギョウザ頼んだでしょう。」
 味わう余裕もなく、そそくさと「餃子」を食べてその店を出た。
 私にも似たような記憶がある。
 小学校の頃のことである。同じ市内の離れた所に親戚の家があった。従兄弟に会いに時々遊びに行くのだが、その途中に和菓子屋があった。
 ある夏の日、和菓子屋のガラス戸に大みこしの写真と一緒に「みこし最中」と書いたポスターが貼ってあるのに気がついた。街は夏祭り一色である。「ああ、お祭り真っ最中だ。」と思って通りすぎた。
 月に一度くらいは親戚の家に遊びに行っただろうか。9月になっても10月になってもポスターは貼られていた。
 子供なりに知恵を絞って考えた。祭のあとポスターをはがし忘れているという訳でもないだろう。そうだ、店の奥で「みこし」を作っている「最中」なのかもしれない。きっとそうだと勝手に思い込んでいた。
 しかし、どうも腑に落ちないという心持ちだったのだろう、ある日、すぐ上の兄に聞いた。
「あそこのお菓子屋は、奥の方でみこしを作ってるんけ?」
「はあ?まんじゅう屋がみこし作るわけねーべ。何で?」
「店先に、みこし最中(さいちゅう)ってポスターが貼ってある。」
 それを聞いた兄の顔は忘れられない。目の玉を丸くして、しばらく私の顔を見ていた。そして、
「ぶあっか!あれはみこし最中(もなか)だ。おめーも食ったことあるべ。」
と言った。
 私はいたく傷ついた。


その五十八 酒か大福か

 アルコールに弱い割には酒が好きである。特に、日本酒がいい。若い頃はウイスキーやら焼酎やら飲んでいたが、今は日本酒党である。
 日本酒で晩酌をするようになって何年にもなるが、1~2年に1回は1ヶ月ほど「自宅禁酒」をする。どこかに、毎日酒を飲むことに対する罪悪感があるのだ。健康にも良くないような気がするし。
 もっとも、誘われた時に断るのは忍びないので、外で飲むのは許す。ただ、誘われることも少ないので、「自宅禁酒」期間中はほとんど飲まない。
 今年に入り、この際だから「自宅禁酒」をずっと続けようと思い立ち、1月から長期の「自宅禁酒」を決行した。「慣れないことをすると体に悪いからやめた方がいい。」と忠告してくれる友人もいた。
 8ヶ月ばかり「自宅禁酒」を続けることになったが、食生活に変化があった。甘いものが食べたくなるのである。スーパーに行くと、酒を飲んでいる時には見向きもしなかった大福やチョコレートなどに手がのびる。たぶん日本酒で糖分を摂取していたのだろう。それを補うように毎日大福やチョコレートを食べるようになった。体重が3キロばかり増えた。
 夏の終わりとともに「自宅禁酒」も終わった。とたんに甘いものを食べなくなった。体は正直である。そのせいかどうか分からないが、体重も元にもどった。
 酒か大福か。秋の夜長、日本酒をちびりちびりやりながら悩むのである。答は出ているような気がするが。
   (大川 和良)


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