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令和元年台風19号の爪痕

2019年11月05日 11:18 by norippe

 2019年の10月12日から13日にかけ、台風19号が日本を直撃した。広域に渡って甚大な被害を及ぼした台風であった。 地球温暖化により海水温度が上昇し、台風が発生する確率が非常に高くなっていると言われている。そして日本は台風の影響を受け易い地球上の位置にある国なのだ。

 今から160年前、関東を直撃し幕末の江戸を壊滅状態に追い込んだ“最強台風”があった。「安政台風」である。「台風」という呼び名が始まったのは意外に新しく、昭和も31年(1956年)のことである。それ以前の幕末・明治では「大風(おおかぜ)」と呼ばれていた。

 日本の歴史の中では、鎌倉時代に日本に襲来した「元」の大船団を吹き飛ばした「元寇の神風」というよく知られた台風があった。また、九州・中国地方に甚大な被害をもたらした「シーボルト台風」がある。最大風速50m/sとも55m/sとも推定されるシーボルト台風は、長崎に上陸したあと佐賀など九州北部を縦断し、山口に再上陸したという。特に佐賀藩の被害は深刻で、1万人を超える死者、4万軒近くもの家屋が全倒壊したという。
 実はこの前の年、江戸は巨大地震に見舞われていた。「安政江戸地震」である。この地震はM7クラスの直下型地震で、多くの家屋が倒壊炎上し、4,000人以上もの死者が出たのである。しかし、この「安政江戸地震」の10倍もの被害をもたらし、そしてシーボルト台風をも上回る巨大台風が「安政の台風」であった。

 明治維新以降、昭和に入ってからは伊勢湾台風、室戸台風、枕崎台風の3,000人を越す犠牲者を出した昭和の三大台風があった。

 そんな歴史の中、日本の人々は台風と向き合いながら生きて来た。人は大きな災害に見舞われたとき、我を失いパニックに陥りがちである。政府や自治体は、そうならないように情報を管理し、警察や消防、あるいは自衛隊を出動させて、パニックによる大混乱という事態を避けようとする。どんな災害であれ、被災をした人たちは、たちどころに衣食住のすべてを失って、途方に暮れてしまう。政府や自治体などの公共機関や私的な援助活動が動き出すまでには時間が必要で、それまでの間のひもじさは計り知れない。だがその不安や恐れの感情を和らげてくれるのは、同じように被災した人たちの相互の助け合いなのである。そのことによって、普段はほとんど無関係に暮らしていた人たちの間に、同じ地に住む者同士という「コミュニティ」の意識が実感されたりもする。人びとの中から自然発生的に生まれる「ユートピア」、それが日本という国ではないかと思うのである。

 ところが大災害時における国や自治体の災害対策は、何より混乱の回避に重点が置かれてしまう場合がある。
 今回の台風19号で東京・台東区が設けた避難所に2人の男性が現れた。住所を聞くと「住所がない」という。いわゆる路上生活者であった。住所がないのでは受け入れ出来ないと拒否されたのである。この路上生活者は 建物の陰で傘をさして台風をしのいだという。世の中には災害発生のさなかに助けを求める人に対して、「分け隔て」を自分の仕事と思う役人がいるようだ。この話は国会に持ち込まれ、首相らが避難所は全被災者を受け入れるべきだと答弁することになった。台東区は人命を守るのが公的機関の最優先の使命である事を忘れてしまったらしい。

 自民党の二階幹事長が今回の台風19号の被害を「まずまずに収まった」と発言したことが物議を醸し出している。発言撤回の是非を問われた二階氏は「撤回するもしないもない。極めて大きな災害だ。災害復旧に全力を注ぐ」と述べた。しかし夕方には「被災された皆さまに誤解を与えたとすれば表現が不適切であったと考えております」と釈明。訂正や撤回について訊ねられると「不適切であったと言っているわけですから、それはその表現を続けて重ねて、発言しようと言っていることではないでしょ?それでいいんじゃないですか」と話している。二階幹事長の「まずまず」は、予想していた被害よりも少なかったという意味は理解できる。しかし聞き手が「誤解」したのが悪いという、いつものパターンで自分の否を認めず責任を転嫁してしまう言い訳には、ほとほと呆れかえってしまう。被災した人々にとれば、この「まずまず」の発言は自分達を無視した発言だと思われても仕方ない事なのである。災害救助法が適用になった自治体が13都県349市区町村と東日本大震災を大きく上回った。これでも二階氏は「まずまず」と言うのだろうか。政治家生命を揺るがす問題発言であった。


夏井川が氾濫したいわき市の平窪・赤井地区

 災害には必ずと言っていいほど悲しい出来事が起きる。次は私の住んでいる福島県いわき市で起きた悲しい出来事の話である。

 いわき市も今回の台風19号では大きな被害を被っている。いわき市の北側を流れる夏井川が氾濫した。川の水は近くの平窪(ひらくぼ)という地域を襲った。この平窪にはいわきの中心地である平地区に水を供給する平浄水場があるのだが、ここも被災して機能が停止してしまったのである。一週間以上たっても水道は通水しない。風呂も入れず洗濯も出来ない状態であった。

 台風が到来した夜、この下平窪に住む関根さんという老夫婦は布団に入って眠りについていた。しかし奥さまは、自分が寝ている布団が濡れてきたのに気づき目が覚めた。急いで起き上がって見てみると、部屋に水が入って来ているのがわかった。足腰が悪いご主人を起こし、急いで近くにあるベッドに上げようとするのだが、重くて起き上がらせる事が出来ない。そうしているうち水位がみるみる上がって来て、ご主人が水没する危機に襲われたのである。それでも奥さまが持ち上げようとするのだが、ご主人を持ち上げることは出来なかった。そして更に水位は急激に増えた。ご主人は悟ったかのように奥さまに声を掛けたのだ。
 「いろいろお世話になったな」
 ご主人はその言葉を最後に、水の中に沈んで帰らぬ人となってしまったのである。奥さまはその後、かけつけた救援隊に助けられたのである。

 また、次の日には別な悲劇が起きた。
 中平窪地区に人命救助のため、東京消防庁からヘリがやってきた。ヘリから救助隊がロープで降りて来て、救助者(77歳女性)を抱きかかえロープを巻き上げ上空へと釣り上げていった。隊員はヘリへ到着した救助者をヘリの中に入れる作業に入ったが、大変なミスを犯してしまっていたのである。救助者と隊員をつなぐロープのフックを掛け忘れていたのである。ヘリに降ろす間もなく救助者はそのまま落下してしまったのだ。40mという高さからの落下であった。
 すぐさま救助者は病院へ運ばれたが死亡が確認された。本来であれば地面に救援者を置いて救助作業を行うのだが、現場は一面、腰まで浸かるほどの水に覆われ、立ったままの作業になってしまったのだ。これがミスにつながる原因だったと言われている。必死に救助に当たった若い隊員であったが、何とも痛ましい事故であった。
 10月19日、亡くなられたこの方の葬儀が行われた。葬儀には小池百合子東京都知事や東京消防庁総監らが参列し、哀悼の意を捧げた。

 この台風19号では多くの河川氾濫が起き、多くの家屋や車が被害にあった。そして被災した地域の沿道には災害ゴミが山と積まれ延々と続いている。ゴミ焼却場が被災した地域もあり、ゴミの処理もままならない状態にあり早い復旧が望まれる。

 今回の台風19号に気象庁は名前を付ける事を決めたようだ。台風に名前を付けるのは1977年の「沖永良部(おきのえらぶ)台風」以来42年ぶりとなる。
 台風に名前を付ける目的は、台風情報が混同するのを避ける事、そして国民が台風について関心を深め台風に対してより強い警戒心を持ってもらう事だそうだ。
 台風に限らず、災害で受けた苦しみは決して忘れてはならないのである。

(記者:関根)

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