ザ・戊辰研マガジン

2018年10月号 vol.12

磐城の戊辰戦争150年展示会

2018年10月04日 23:51 by norippe

「いわき産業創造館」の企画展示ホールにて、磐城の戊辰戦争150年展が開催され、私は最終日に駆け込みで見て来ました。(2018年9月9日~9月15日)
いわきの戊辰戦争での遺品や古文書は、ほとんどが個人所有となっていて、普段実物を見ることは出来ません。

展示場の入り口には、左から「奥羽越列藩同盟」「磐城平藩」「泉藩」「湯長谷藩」の旗が飾られていました。磐城平藩の家紋は「上がり藤」湯長谷藩は「下がり藤」、上下逆さの家紋なのです。いわきの湯長谷藩が舞台になった小説「超高速!参勤交代」では、この逆さの家紋が、湯長谷藩大名行列の危機を救いました。映画にもなり、とても通快な大ヒットの映画でした。

平成28年6月、戊辰戦争研究会では「磐城戊辰戦争ぐるり旅」と題して、いわきの戊辰戦争の史跡を二日間に渡って歩きました。展示会はその時の史跡めぐりを思い出させてくれました。

展示場の写真撮影許可を頂きましたので、展示品の数々を紹介します。


エントランスに飾られた奥羽越列藩同盟旗と磐城三藩の旗



磐城平の戦絵図
絵の中央当たり、大砲から弾が放たれ、絵の上にある磐城平城の城門が破壊される様子が描かれている。右下が尼子橋



現在のいわき平の航空写真
写真中央(松ヶ岡公園の右)が戊辰戦争時に野戦病院が置かれた性源寺。
中央斜めの道路が国道6号線、道路を下方に進むと会津・新潟へと続く国道49号線の合流点がある。


磐城平城の絵図




火縄銃と鉄砲弾



上:左の丸いのがドイム砲弾、中二つが四斤砲弾、右がアームストロング砲弾
中:ドイム砲弾と四斤砲弾
下:ハンドモルチヒル砲(複製品)磐城平藩が野戦砲として使用した大砲、砲身長は27cm、重量は70kg




上左右:陣羽織、陣中で鎧、用具の上にきた表衣、旧磐城平藩士のもの二点
左下:磐城平藩士中山家伝来の用具
右下:陣笠、元来は足軽等が行軍、陣中だ兜の替わりに使ったものだが、戊辰戦争時も着用されている




左上:肩章(藩士の身分を表わすもの)と藩庁出頭古文書
右上:短刀、銘・与州住安定作(鵜首作り・外装付)
右下:家紋つき前垂
左下:磐城平藩安藤家槍印




左上:戦場で目印として旗につけた紋所
右上:平藩士が所有している用具一式
左下:戊辰戦死者大位牌(良善寺蔵)
位牌の表面には49名の戦死者の名前が記載されている。
右下:新政府軍参謀3名の名前の掛け軸(渡邉清右衛門、木梨精一郎、川田佐久間)
泉藩郷士宅を接収した時に謝礼品と共に自分達の名前が入った軸を残した




左上:磐城泉藩主本多家の馬印と赤玉と馬具と鞍、馬印は戦陣で大将の場所に立ててその所在を示すもの
左下:磐城泉城の絵図
右:赤玉、泉藩本多忠壽公が老中格になった時、持ち槍二本を許され登城の際は行列の先頭に立て、そのうち一本には太陽を表わす「朱天目」俗に言う「赤玉」で登城の際は登る朝日に美しく映え、大名も敬意をはらい道を譲ったと言われている。




左上:平藩士16人分戊辰戦争の覚書
右上:磐城平藩の降伏状
左下:仙台藩通行証
右下:酒井徳之助宛国替え仰付書




上:奥羽出張病院の医師達の写真、奥羽出張病院の頭取「関寛斎」を中心とした医師達の写真、笠間藩の草野得柄・泉藩の澤文仲等も居り奥羽出張病院で活躍した人達がやがて磐城の地域医療の中核を担って行く事になった。
戊辰戦争時、平の性源寺(松ヶ岡公園の隣)が奥羽出張病院となり戦争時の負傷者の治療にあたった。
下:磐前病院開設医師の集合写真




左上:磐城平藩七代藩主安藤信勇(戊辰戦争時の藩主)
左下:泉藩主六代本多忠紀
右:輪王寺の宮(北白川宮能久親王)



(記者:関根)

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