ザ・戊辰研マガジン

2018年10月号 vol.12

コーヒーブレイク「種々の小さな話」

2018年10月06日 05:28 by kohkawa3

その二十二  会津若松にて「田楽尽くし」

 戊辰戦争研究会「会津集会」に参加した。1泊2日の日程の初日は、会津若松駅前12時集合。まず、昼食をとってから史跡巡りとなる。昼食は奴郎ヶ前の「お秀茶屋」で田楽を食べる。総勢8人が2台の車に分乗して奴郎ヶ前に向かう。
 お秀茶屋ののれんをくぐると、店先にある炭火のおきた炉端で、竹串に刺した田楽を焼いていた。
 田楽というと、こんにゃくや豆腐、ナスなどに甘いみそがのったものというイメージしかない。それでいいのだが、我が家では食卓に出てくる機会もめったになく、宴会の席でたまに遭遇する程度であった。
 私のいなかでは子供の頃、おでん屋さんが屋台を引いて、田楽のようなものを売りに来た。竹串に刺した三角形のこんにゃくに甘い味噌を塗たもので、いわゆる味噌おでんである。 
 1本10円のおやつであった。田楽のルーツかもしれない。これをおかずに昼飯を食うのか?どうしても昼食と田楽がつながらない。
 出てきた田楽は大皿からはみ出すように、焼き鳥の親分のような串が5~6本並んでいた。30センチもあろうかという長さで、太い竹串に刺さっている。「これ何人分?」と誰かが聞いた。一人前だという。「これ、全部食えってか?」と思ったのは私だけではなかったと思う。
 餅や豆腐、芋などに味噌を塗り、炉端で焼いたもので、串もこんがり焼けて年季が入っている。食べてみるとほんのり甘く香ばしい味噌が食欲をそそり、いつの間にか一皿平らげてしまった。追加で出てきたクルミ餅もあっというまになくなってしまった。
 ところで、野郎ヶ前という変わった地名の起こりは、この近くの川原に会津藩の処刑場があり、矢来(柵)の前ということからきたらしい。処刑のために引き立てられる罪人に田楽を食べさせ水を飲ませたという言い伝えもある。幹事の伊達氏作成のレジュメに紹介されていた。
 それにしても、処刑の前にこんなうまいものを食べさせられたら未練が残るのではないか、と余計な心配をしたのだった。


その二十三  会津若松にて「畑のフォアグラ」

 会津集会の初日の宿は湯野上温泉「星乃井」であった。宿に到着して温泉につかり、鈴木氏の語りを聞いて、なぜか「高原列車は行く」を合唱して、腹をへらしての夕食となった。
 夕食の膳の中央にはメイクイーンと思われる長めのじゃがいもの煮付けがあった。透き通るような淡いクリーム色で、丸くつるんとしている。
 「これから酒だというのに、じゃがいもかい」と思いながらも一口食べてみた。箸で挟むとやわらかく切れて口当たりも良く、上品なじゃがいもの味であった。「うまいじゃがいもだねえ」などとみんなで言い合った。
 後で知ったのだが、この宿は「星乃井名物じゃがいもの煮物」が一つの売りで、宿のパンフには「誰が言ったか『畑のフォアグラ』」というキャッチフレーズまでついていた。残念ながらフォアグラを知らないので、このフレーズの含蓄までは理解できないが、たかがじゃがいもされどじゃがいも、という心意気は伝わってきた。
 物心ついて60年余り、「これまで食べたじゃがいもの中で一番うまいじゃがいもだった」かもしれないと思うのである。ちょっと大げさですが。
 会津の酒を飲む気満々で夕食の膳についたが、素朴な料理を味わううちに酒の入る余地がなくなってしまった。
 この夜、幹事の伊達氏からは「全然飲んでない」「もっと飲んで」と責められるのだった。


その二十四 会津若松にて「わっぱめし 」

 会津集会2日目は雲ひとつない快晴であった。
 湯野上温泉から鶴ケ城に直行、会津祭りを見学した。会津祭りは戊辰戦争150年記念で、例年より盛り上がったらしく大変な混雑だった。
 鶴ケ城から、わっぱめしの「田季野」に向かう。祭りのための交通規制で、車は大きく迂回しなければならず、途中下車してドライバーと別れる。
 お徒組の5名は10分ばかり歩くことになったが、ちょうど目の前を藩公行列が歩いていた。城内では見られなかった馬上の武者もあり、退屈することもなく田季野に到着した。
 予約済みの我々はすぐに席に着くことができたが、店内は空席を待つ人であふれていた。しばらく待つうちにドライバーのお二人から、到着が相当遅れるという連絡が入った。
 誰が言い出したか分からないが(たぶん桑名氏)、「ビールを飲むなら今のうちだ」「飲んだら瓶をかくしておこう」ということで全員一致、ビールで乾杯した。夏がぶり返したような暑さの中を歩いてきて、ドライバーに隠れて飲むビールの味は格別だった。
 1時間ほど遅れて到着したドライバーのお二人はビール瓶を見ても大人の対応であった。しかし、隠れて飲んだ面々は「このビール瓶は前の客の・・・」などと言い訳するのだった。
 1時間遅れのメンバーが到着後、ようやく注文の品が出てきた。会津集会最後の食事「わっぱめし」は期せずして全員そろって食べることが出来た。めでたしめでたし。


その二十五 会津若松にて「会津・野岩鉄道の旅」

 会津集会は2日目午後2時頃に会津若松駅前で解散となった。
 早い解散予定だったので、帰りは新幹線を使わずに、会津鉄道・野岩(やがん)鉄道を乗り継いで、東武日光線で埼玉県まで帰ることにしていた。
 「西若松」から会津線で「会津高原尾瀬口」、「会津高原尾瀬口」から野岩鉄道で「新藤原」、ここまでうまく接続しても2時間以上かかる。「新藤原」からは東武日光線に入る。会津の山と川を眺めながらの電車の旅である。
 東武日光線直通の特快電車もあるが、鈍行でのんびりと行きたい。そのために、集会初日の「末廣酒造」見学の折、「Dr.野口カップ」を仕込んでおいた。かの野口英世は地元猪苗代の出身である。
 会津線は隣の西若松からだが、会津若松が始発となっていた。いつものようにスイカで会津若松駅改札を通過し、4人掛けのボックスシートを独り占め、進行方向に向かって足を伸ばす。
 「Dr.野口カップ」をチビリチビリやり始める。すると女性の車掌さんが改札に来た。会津鉄道はスイカが使えないという。「えっ!」と絶句した。
 しばらく走ると、2両編成の電車は田園地帯を抜け会津の深い山と谷にのみ込まれていく。昨日宿泊した「湯野上温泉」や「塔のへつり」といった駅を通過する。いきあたりばったりで乗ったこの電車は、野岩鉄道に入る手前の「会津田島」止まりであった。ここで40分ほど待ち合わせた。
 会津田島は、会津で唯一記憶に残る駅である。50年前、高校山岳部の夏の合宿で、会津田島から檜枝岐村、会津駒ケ岳を経由して尾瀬に入った。思い出深い場所であるが、記憶に残るのは駅の名前だけであった。駅舎の壁には尾瀬ヶ原や南会津の山々を紹介するポスターが何枚も貼られていた。駅の売店で会津の酒「栄川(えいせん)」を補充した。
 会津田島始発の電車も空いていた。周りに気兼ねする事なく栄川を飲みながら、山を歩いた若い頃のことを思い出していた。
 平家落人部落伝説のある檜枝岐から会津駒ケ岳頂上までは、一日がかりでテントを担ぎ上げる。自然保護のためキャンプサイトはなく頂上の小屋泊りであった。小屋の外で眺めた星空には感動した。星空に白い筋がある。生れて初めて見る天の川であった。
 会津駒ケ岳は静かな山であった。会津駒ケ岳からから尾瀬ヶ原まで、まる一日尾根を縦走する。その間、一人の登山者にも逢わなかった。
 打って変わって尾瀬ヶ原は賑わっていた。
 私達の山岳部には変な伝統があった。「雨乞い」ならぬ「天気乞い」である。 
 女人禁制の山岳部。夜になるとキャンプサイトのテントの中で、汗臭い男どもがローソクを囲んで車座になる。一人づつ自らの姓を名乗り「レイコちゃーん。好きだよー。あした天気にしておくれっ!」と叫んで「天気乞い」をするのである。観客が多いほど効き目があった、ように思う。
 ニキビづらした男どもが絶叫すると回りのテントからドッと笑い声が上がり、「いいぞいいぞ」と声がかかる。そして、キャンプサイトの夜は盛り上がるのであった。
 しかし、みんな片思いだったのがちょっと悲しかった。ヤケクソで叫んでいた青春だった。
 ふと目が覚めると車内には徐々に人が増えてきて、いつの間にか東武日光線に入っていた。気が付かないうちに野岩鉄道の旅は終わっていた。
   (大川 和良)



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