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村上殿の日々徒然

2019年01月04日 19:29 by murakamidono

戊辰戦争  

 戦前の本を読んでいます。森清人の「皇国の書」に明治元勲(岩倉具視や西郷隆盛ら)の言動が書かれています。現代は、当時の個人の言動が、全世界に知られる時代ですので、社会的に知られている方の「縁談」などには気をつけなければならないように思います。今のところ、皇族には村上藩士の末裔、会津藩士の末裔が関係しており、問題はありませんが、環太平洋だけで、30億人はいます。

 「皇国の書」を推奨した方々は戦後、A級戦犯に処せられました。保田与重郎の著作も読んでいますが、この方は戦後、公職追放になっています。 日本の古代史  森清人の「皇国の書」によると、「日本と朝鮮の関係を、神代までさかのぼると、玄海を中庭とした、日鮮同治の国であった」とある。10代崇神天皇の名前を「ミマ・・・」という。ところが、朝鮮半島に「任那(ミマナ)」という国があった。一つは「崇神天皇は朝鮮から来た人である」という解釈である。別の解釈は「あれは、11代垂仁天皇が命名した名前である」というのである。これは「天皇の力が朝鮮半島までおよんだ」という解釈である。

 米の由来であるが、一つの解釈は「天照大神が孫にコメつくりを伝授した」という話で、それが日本全体に広まった。といういう解釈である。一方、「コメは中国・朝鮮経由で日本に入り、朝鮮人が九州で耕して教えた」という説もある。

 神代に、玄海灘のあたりに「海神国」(わたつみのくに)があったそうだ。その勢力は強くて朝鮮半島まで及んだ。という説がある。ところが、新井白石によると、「海神国は新羅なり」と言っている。  日本には伝説があり、事実が全く分からない。邪馬台国にしてもしかり。不弥国(福岡県家塚市)あたりまでは分かっているようだが、それ以降、南へ水行20日で投馬国、さらに水行10日、陸行1月と記されている。この通りに行くと、太平洋上になる。ところが、当時は現代の東西南北が異なるという説もある。それによると、邪馬台国は奈良県になるそうだ。上記は合計すると「水行30日。陸行30日」となるので、かなりの距離となり、奈良あたりになるような気がする。

 このように、書籍を読むと分からなくなるので、自分の足で宇陀を歩き、それらしき「跡」を探し、多くの絵を描いている。

ファンタジ―な故郷・宇陀市

 しばらくぶりに宇陀市榛原(はいばら)へ帰省した。 天理市櫟本(いちのもと)にある楢神社へ行った。宮司とお話しもできた。皆様は楢神社をご存知ですか。櫟本の一つ駅(北の方)に帯解寺がある。皇后陛下とご関係がある。

 楢神社の本宮が東にほう2㎞の林の中にある。その昔、この辺に和邇(わに)族が住んでいたらしい。氏子たち約10名が、白装束で太鼓をたたきながら本宮へゆくので後ろからついていった。世にも不思議な体験で、夢のような出来事である。

 自宅の近所の屋敷から葛が伸びて我が家に絡んでくる。その家主と会って話したが、葛を退治することは不可能とのこと。彼の「敷地にはいってよい」とのこと。「さて、この葛のつるで多少稼げないか」と思案している。葛は20-30メートルは伸びるが、来年の春に肥料をやり、どんどん伸ばそうと思っている。まず100本とれると、いろいろのことができそうだ。

 村上のシルクフラワーと葛のつるの組合わせて、商売しょうと思っている。榛原、松坂、伊勢などの店に飾りたい。儲けが出るかどうかはわからないが、「面白いから] やってみるだけだ。シルクフラワーの染めかたも研究したい。

 地元には「私の自宅の敷地の南にある丘が古墳だ」という人がいる。市役所へ行って昔の写真を見せてもらった。小さい小山が二つ、ひょうたんのようだ。その頂点と結ぶ線が真北を向いている。もしかすると、敷地の下に何かありそうな気がする。

II フアンタジ―な故郷・宇陀

 ファンタジ―と異なるが、宇陀市の将来は非常に厳しいように思う。最悪の場合、夕張のようになる可能性がある。天理市にシャープの中央研究所があるが、1980年代、「この会社は厳しくなる」と予測した。最近、この会社は台湾の会社に買収された。市や企業の将来性や凋落のような変化は20-30年くらいまえに兆候がでるものである。ただ、買収は凋落とは異なる。詳しいことは書かないが、「シャープは人事に失敗した」と思っている。

 我が家の庭木を数本切った。直系40㎝のカエデを切った。無料で切っていただいた。切ったものが重くて動かないので、さらに短く切った。それでも重い。雨に降られないようにした。来春、動かすつもりである。たまたま、「カエデの板」で検索したら、結構高価である。「何に応用するか」を考えている。

 シュロの木も切ったが、これももちあげれない。中間で切ろうとしたが、幹が柔らかい衣でおおわれており、切るのが難しい。「柔よく剛を制す」というが、まさにその通り。「カエデの枝や幹を何に使うか」を考えている。結構楽しいものである。

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I  村上への観光を目指して  私は、ほとんど消えた日本文化の再現に取り組んでいる。こうした文化に興味を持つ欧米人が多い。来年の春から、外国人をよぶ観光(インバウンド観光)が実現できそうになってきた。国内の皆様も、消えた田舎の文化に浸りたい方はお越し下さい。私は調べてきた観光スポットの概要を述べる。以下は市役所の観光課にも知らせる内容である。

●新潟空港または新潟駅から鮨の老舗へ行き、鮨を食べる。日本海の魚の鮨は美味しい。「おかみさん」のお話を聞く。その後、快速で村上駅へゆく。40分くらい。

●村上駅からタクシーでSB集落へ移動(1000円くらいと推測)。3人同乗すれば、一人約  300円) ■200年の歴史を有する絹織物の家へ行き、直系の方の織り方を見学し、文化品を見学する。

■日本で最高レベルの家で、地元の大工が建てた大きい家に入りお話を聞  く。日本の大工さんの「巧」を知ってもらう。

■非常においしい漬物をつける家へ行く。高校時代に「まどんな」と言われた奥様の「技」と「古来の漬物桶」などを見学する。

●タクシーで宿泊所へゆく。宿泊施設はSS集落にある。15分程度。部屋に温  泉の湯がどんどん出る宿泊施設に泊まる。近くにレストランがある。素泊ま  り6000円程度。 第2日目  これから自転車で移動する。自転車道が非常に良い。坂はない。

●「繭の花作り」工房をみる。宿泊施設の隣に、レストラン、コンビニ、道の駅がある。この工房は日本で唯一の工房。 ●「かやぶき屋根」の家の外を見学し、中に入って、間取りなどを説明する。  かやぶき屋根職人は市に二人だけとなった。

●SS集落を歩いて見学。家は街道沿いにあり、市の文化保全区域になっている。  戦国時代、西の方の山の頂点に「本庄繁長の城」があった。村上城下町は彼によって  作られた。その後、江戸時代になり内藤家などが城主となる。

●女神の「こくぞうさま」をみるが、SS集落で「言ってはならぬこと」を解説  する。女神に対する礼儀。

●自転車で隣のHB集落へ移動。

●日本一の養蚕をみる。繭はすべて、繭の花作りに使用される。

●日本で最高レベルの民家の中に入り見る。

●漆かき職人と、漆の林へゆく。途中、栃の木の林を見る。美味しい栃餅の作り方を説  明する。

●夕方にプロの演歌歌手を囲んで歌を聞く。日本歌謡曲史の解説をする。 第3日目  今日は私の生家のある集落へゆく。自転車で5,6分のところに小さい集落KB がある。集落に桑畑がある。日本でも珍しい。 集落の東端に川がある。戦国時代、この川の上流に日本最大の金山があった。

●木舟の所有者の舟をもらえるが、何分、一人での持ち運びは不可。この川にカジカがとれる。舟遊びをする希望者を募る。

●KB集落から5分で、I集落に到着。

●多分日本で最大級の地蔵様の中に入ってみる。

●400年前の本庄繁長の家臣の末裔の家に入り、文化品などを見せていただく。  日本でも最高レベルの民家。

●本庄繁長公顕彰館に入り、郷土の文化品や旗などを見せていただく。

村上城  下町は繁長によって作られた。

■戦後までの多くの桶(冠婚葬祭用の漆塗り桶、国内最高水準の漆塗り桶、 桶道具など)

■最高レベルの養蚕小屋、日本に少ない土室。絹糸作りと綿糸つくりの実演。

■多くの絵画 消えた文化の絵、村上藩主が子供の時読んだ絵本の絵画  

■明治初年に建てられた家。屋根裏に入る。  

■囲炉裏に大きい鍋をかけて火をたく

■むしろを織る、チマキ作り、笹団子作り、かまどで美味しいご飯の炊き方を実演

■栃餅の作り方、つるし柿の作りかたを説明

■多くの着物の虫干しを見学

■戦後までの祝言(結婚式)、平家落人行列用の赤い牛車をみる。平安貴族女性の市女笠(いちめがさ)を見る。状況によっては行列を実演  

■状況により、「キツネ物語」を実演

●寺  ■寺に入り見学、従軍看護婦などの写真

■墓の墓碑を見る  大日本帝国陸軍を脱走した人の墓、徳川家康の諜報人と思われる武将の最期。

■日本資本主義の父である渋沢栄一一族の方と私の親戚関係にあった人の墓碑

●昭和少年少女遊びの広場(民家の屋敷;市で最大級)

●江戸時代から戦後までの親族関係(本家と分家)を説明。昔の結婚の仕方。

●戦後のカマドで料理している家を見る。希望者は炭茶をいただく。

●施設「こけし館」を見る。民家であるが、奥様が東北からこけしを買い、  胴に俳人に俳句を書いてもらい、顔を自分流の表情に描いている。

●花の園をみる、民家の庭は花でいっぱい。ここも奥様がやっている。NHKが2回放映。

●木から「ほうずき」を作っているご婦人の工房を訪問。ほうずきは2個で1500  円くらい。

●大きいお寺を訪問。尼さんもいる。ここで、集落のご婦人たちが集まり、御  詠歌を習っている。日本庭園を見学。

●新発田藩主の末裔たちが移住した集落を見学。  農村の観光日程はこれで終わりとする。5泊ぐらいしないと、ゆっくり見ることができない。いそいで観光すると、案内する方が疲れる。インバウンド観光を目指しているが、最近、「日本には災害が多い」という印象が出てまいり、最終的にどうなるかわからない。東南海地震や首都圏大地震が起こると、すべて水泡に帰す可能性がある。

●古来の大工さんの作業所をみる。刃物の研ぎ方を見る。  古来の大工気質を説明する。都会にある工場製品の家との違いを説明。

●古来の桶やさんの工房を訪問し、漆塗り桶を拝見する。

●鳥居三十郎最期の間をみる。戊辰戦争で村上藩は庄内藩と合流し、官軍と戦う。その後、敗軍となった山形の藩士達は西郷隆盛と交流。彼らが率先して西郷隆盛の銅像を  建て、西郷の名は全国に広がったようだ。しかし、天皇家が縁談を結ぶのは戊辰戦争  敗軍の藩の末裔が望ましく、官軍の末裔と縁談を持つと、あとで問題となるこ  とが起こるようだ。

●石油王・中野寛一が大正期に造成した集落を探訪する。非常に美しい光景を見る。中野氏と新発田藩士・大倉氏の思想の違いを説明。 職人気質  農村には、さまざまの仕事がありましたが、「美の追求」でした。左官、大工、鍛冶屋、桶屋などがありますが、弟子が師匠から、ノウハウにかかわることを、いろいろ聞くのはタブー視されます。場合によりますと「そんなことを聞くな」と怒られます。 ノウハウを習得するのは本人の努力です。努力もせず、師匠に聞くのは、破門になります。「秘すれば花」という世阿弥の教えを忘れてはならないわけです。 また、職人は「完成」という言葉を好みません。「完成は先がない」からです。必ず未完成にしました。職人は「美の追求」であり、現在、総じて、相当の価格になっています。  刃物研ぎが日本のワザであり、その頂点にあるのが刀だと思います。これには欧米人も真似ができません。   

村上の話は、ほぼ終了しました。どういう結果になるかわかりませんが。 次は熊野市にうつります。親戚がいるのですが、どうも行きにくい市です。 総じて熊野の人は長寿です。村上在郷には熊野神社が最低4つある。その一つが平安後期に、創建されたらしい。

 むかし、熊野へは行く人もほとんどなかったそうですが、花山天皇が西国三十三観音めぐりをやりだし、一挙に「熊野詣」が盛んになったようです。私の先祖も、430年前にいっている。江戸時代の人は、年に数か月は農閑期で休みです。

 碁の黒い石を「那智黒」と言いますが、これは那智でとれるのではなく熊野です。 碁というと、本因坊、安井算鉄らを思いうかべます。糸川英夫は熊野の「糸川家」のご出身です。

 熊野、伊勢、宇陀あたりは、もともと女性の国であり、この辺の神社はことごとく女神です。しかし、神武が熊野から宇陀を攻めてきて、このへんは滅びました。 「たたりがなければ」と思っています。

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