ザ・戊辰研マガジン

Vol.5

おいしい東北の日本酒

2018年02月26日 06:35 by date




ある東北人の会話
 「おめー、酒は大七って知ってっか―」
 「おらー、しらねー」
こういう風に「おらー、しらねー」という人は東北人ではありません。東北に住み育った人は「酒は大七」をよく知っています。でも「おらーしらねー」という人こそ東北の方言を使っていますので、東北人には間違いないのですが・・・。

 戦後(この場合は戊辰戦争を指す)東北の山々は長州らの明治新政府から「白河以北一山百文」と蔑まれてきました、そのことに反骨心をもったのは東北の新聞人でした。仙台市の「河北新報」という新聞社は長いこと「河北新報社」の由来を、新聞の表題の下に堂々と「白河以北」にあると気を吐いていました。そしてもう一社、東北の山々ここに在りとその存在を示した酒造会社がありました「酒は大七」です。

 大七酒造株式会社
 福島県二本松市竹田1-66
  創業:1752年

 大七酒造は昭和7年から北関東以北の東北の山々の中腹に約400件ほどの野立の大きな看板を立てました、看板には白文字で「酒は大七」と書いてあります。ですから私自身の郷里からも「酒は大七」の看板が見え、その看板を眺めながら育ちました。そして汽車に乗って遠くに行く時も東北あちらこちらで「酒は大七」の看板をを眺めたものです。
 東北の山々に「酒は大七」在りと大いに気を吐き、その存在価値を高めましたが、近年の新幹線工事・高速道路工事などで野立の看板が消え、かつ野立看板の使命は終わったと、次第に看板が外されました。
 平成30年の今では「酒は大七」の看板を見ることは稀になってしまいました。

 そもそも「大七」の由来は、初代の太田三郎兵衛は作った酒に「大山」の冠を付けたが、その「大山」の名の酒はは全国にあったために、明治末に当時の当主太田七右衛門貞一の名を組み合わせて「大七」となった。
 大七酒造は古来の製法である「生もと造り」にこだわり、生もと造り一筋の製法を続けている。また新酒は一冬を越した春にピークを持ってくるのではなくさらにひと夏を越して冬に完成させるといった時間と手間をかけるのであった。
 二本松市は「日影の井戸」で知られる名水の地で、会津とともに銘醸地でもある。
 その味は、キレがあり、味わいがさわやかで喉越しがまろやかとの評価を受けている、要するにおいしいお酒であるということだ。
大七酒造のお酒は、2008年の洞爺湖サミットでの公式晩餐会の乾杯酒に使われた、ちなみに海外では「ビックセブン」と言われている。

 大七酒造の敷地の中には花梨の木が(金は借りん)、敷地の外には樫の木が(金は貸す)植えられいるという、いかにも堅実経営の酒蔵である。

記者 伊藤 剛

関連記事

【都内、幕末維新史跡・九】会津藩江戸屋敷

2018年12月号 vol.14

コーヒーブレイク「種々の小さな話」

2018年12月号 vol.14

今月の読書!

2018年12月号 vol.14

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2018年12月号 vol.14

戊辰戦争研究会が発行するマガジン、「戊辰研マガジン」第14号です。

2018年11月号 vol.13

戊辰戦争研究会が発行するマガジン、「戊辰研マガジン第13号」です。

2018年10月号 vol.12

戊辰戦争研究会が発行するマガジン、「戊辰研マガジン第12号」です。