ザ・戊辰研マガジン

Vol.5

大和の歴史

2018年02月22日 18:02 by tama1

酒発祥の地《菩提山正暦寺》奈良市菩提山町157番地 奈良市の東南山麓、菩提仙川に沿って、苔むした石垣ともみじの参道を登りつめた所に、 菩提山正暦寺があります。初めての訪問になりますが、なるほど紅葉の時季はさぞや素晴 らしい景観が観られることでしょうね。

先頃、FB上で桜井市における発祥地シリ-ズを投稿していましたが、中でも酒に関して 三輪にある大神神社には酒の神である大国主命が祀られ、境内には大神神社の掌酒(サカ ビト)に任じられた高橋活日命(タカハシイクヒノミコト)を祀る活日社があり(日本書 紀)、また延喜式には狭井社の神酒に関する記述がみられます。三輪が酒の発祥地といわ れる所以なのです。

桜井大神神社境内 「高橋活日神社」 しかし、ここでいう日本清酒の発祥とは現在の清酒造りの原点ということで、ここ正暦寺で造られていた僧坊酒をいうそうです。 正暦寺本坊「福寿院」に入る門前の広い敷地の中に正暦寺「日本清酒発祥之地」の石碑が 建っています。 この僧坊酒は「菩提泉」・「山樽」などと呼ばれ、時の将軍足利義政をして天下の名酒と 折紙をつけさせたと「蔭諒軒日録」に記されているそうです。 また、1582(天正十)年5月、織田信長は安土城に徳川家康を招いて盛大な宴を設けてい ます。この時、奈良から献上された「山樽」は至極上酒であったらしく「多聞院日記」に 「比類無シトテ、上一人ヨリ下方人称美」したとあります。 本来、寺院での酒造りは禁止されていたそうですが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や 天部の仏へ献上する御酒として自家製造されていたそうです。そのため荘園領主として君 臨していた寺院では諸国の荘園から納められる大量の米と、酒造りに必要な広大な場所や 清らかな渓水・湧き水などの好条件に恵まれ、利潤を目的とした酒造りをはじめるよう になったといいます。 中でも正暦寺の僧坊酒は、発酵菌(酒母・もと)を育成し、麹米・掛け米ともに精白米を 使う諸白酒(もろはくしゅ)を創製したという点で酒造史の上で高く評価されています。 正暦寺で創製された酒母(もと)、即ち「菩提もと」は、酸を含んだ糖液で培養するため その酸によって雑菌が殺され、しかもアルコ-ルが防腐剤の役割を果たすという巧妙な 手法がとられており、これは日本酒造史上の一大技術革新であったといいます。 こうして蒸し米と米麹と水からまず酵母を育成し(酒母仕込み)、酒母が熟成すると米麹 ・蒸し米・水を三回に分けて仕込む(掛け仕込み)、いわゆる三段仕込みの原型が出来上 がった。この諸白酒は、後に火入れ殺菌法などもとり入れられ、仕込みも三段仕込みから 四段、五段仕込みへと発展し、「南都諸白(なんともろはく)」の名で親しまれ、十七 世紀の「伊丹諸白」の台頭まで一世を風靡し、奈良酒の代名詞ともなったといいます。 「清酒発祥の地」の称号をめぐって兵庫県伊丹市と奈良市がバトルを繰り広げているとい うが、伊丹では天正7(1579)年、豪商・鴻池(こうのいけ)家の始祖で、戦国武将・ 山中鹿之助の長男、幸元が豊臣秀吉の大軍の攻撃を逃れて伊丹・鴻池の地に落ちのび、 酒造りを開始。~~その後江戸でも評判になり江戸幕府が官用酒としたほか、宮中奉納酒 としても重用されたという・・・。一方奈良は1世紀前の室町時代で、それより100年以 上古いといいます。両市とも条例を制定し清酒の普及を目指している今、発祥の地を前面 に出して売り込んで行く姿勢は変わらないといいます。 バトルの決着はさておき、清酒発展を全国に発信してゆく意味で互いに手を取り合って 関西を盛り上げていって貰いたいものですねニコニコ さて、「正暦寺」を見学しましょう。

正暦寺山門をくぐるとすぐ福寿院客殿です。 この時期は午後4時が閉門時間とのこと、午後3時に訪れた私は当然ながら最後の一人だ ったらしく、ご住職が最後までお相手をしていただきました。嬉 正暦寺は一条天皇の発願により、関白九条兼家の子兼俊が正暦3年(992)に創建。 山号を「菩提山」、院号を「龍華寿院」と号します。創建当初は堂塔・伽藍を中心に86 坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺として威容壮麗を誇っていたといいます。 その後、1180(治承4)年、平家の南都焼き討ちの際、その類焼を受け、全山全焼、寺領 は没収され一時は廃墟と化したそうです。その後、1218(建保6)年、興福寺一条院 大乗院住職信円僧正(関白藤原忠通の子)により再興、昔に勝る隆盛を極めたそうです。 今は本堂、鐘楼、福寿院を残すのみで、ご本尊は薬師如来で秘仏として本堂に安置され、 公開日が限られているそうです。住職のお話では薬師如来像や孔雀明王像は小さな仏像で あったため、焼き討ちの際にも持ち出せたとのことでした。 この日は時間の関係上、福寿院客殿のみの観賞となりましたが、その福寿院は1681(延宝 9年)に建て替えられた建物で上檀の間を持つ数寄屋風客殿建築であり、国の重要文化財 に指定されています。 先ず、最初に目に飛び込んできたのがこの京狩野三代目狩野永納筆の襖絵「雪中柳鷺図」 美術鑑賞能力に無縁の私ですが、この静寂感溢れる部屋での一人占めの贅沢鑑賞では 理屈抜きで魅入ってしまいました。 上檀の間には重要文化財の孔雀明王像(撮禁)が鎮座。鎌倉時代の作で、孔雀に乗った 仏で、孔雀の羽を後背としています。孔雀は害虫・毒蛇を好んで食べ、その毒にも非常に 強くそこから災難、災害、煩悩等を毒と見立て、そこから人々を守護する仏として信仰さ れているそうです。 線香をたて、経を唱え神妙にお祈りさせていただきました。~合掌~ 圧巻は福寿院借景庭園でしょう。 菩提山の自然をバックに四季折々に移り変わる景色を見事に演出しています。 縁側に一人占めの贅沢な鑑賞は、まさに至福の一時でした。 護摩堂には「不動明王像」が我々を守護し生きる勇気を与えてくれていますが、この仏 さまは、平成18年2月に開眼されたとのこと。言わば平成の仏様として今後親しまれる ことでしょう。

正暦寺には3000本を超える楓が山内にあり、秋、11月になるとそれらが順番に色づいて 紅葉していくらしいです。木々の緑と黄色や赤の紅葉が混ざり合って、山内をあでやかに 染める様は錦の色に見えるそうです。このことから正暦寺は古来より「錦の里」と呼ばれ てきたそうです。また、1000株以上の南天が赤い実をつけて参道を染める様は紅葉と 並んで圧巻の素晴らしさといいます。 今回、未見学の本堂、薬師如倚像に鐘楼、さらには境内にある万葉歌碑を含めて来年秋、 再度訪れたいと思います。

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