2022年12月号 vol.62
「岡山城」 令和の大改修終え リニューアルオープン! 岡山のシンボル、岡山城が…
日本近代資本主義の父ともいわれる渋沢栄一。その彼が多くの業績を残せたのは「パリ万博開催に伴うフランス随行体験」だったと渋沢自身が回想しています。
そして渋沢の生涯で重要なフランス体験のキーマンとなったのが、江戸幕府に将軍の代理として派遣された最後の将軍・徳川慶喜の弟・徳川昭武です。
徳川慶喜は知っていても、昭武は知らないという方が多いかもしれません。
パリ万博直後に幕府が瓦解したため、歴史の構造上、忘れ去られる立場になった人物が徳川昭武といえるでしょう。
昭武が隠居の地として選び、後半生を過ごした地が松戸でありました。昭武が建てた「戸定邸(とじょうてい)」とその庭園は、今も当時の歴史を残し、国指定重要文化財、国指定名勝として公開されています。そして、昭武の精神は今の松戸の文化にも引き継がれています。
その戸定邸を背景に、徳川昭武と渋沢栄一を今月号の表紙に描いてみました。
昭武は第9代水戸藩主・徳川斉昭の18男。慶喜は7男で、昭武は慶喜より16歳年下。慶喜は昭武が非常に優れた資質を持っていると感じ「自分の後継者に誰かが必要ならば、昭武しかいない」と思っていたのです。幕府再生のためにはフランスと強く連携するしかないという背景があったため、そのためのしかるべき人物として白羽の矢が立ったのが昭武でした。実はその時、昭武は会津藩へ養子に入ることが決まっていたのですが、慶喜はそれを破談にし昭武をフランスに派遣したのです。
そしてそのお付きとして選ばれたのが渋沢栄一でした。それから渋沢と昭武の深い縁が始まるのです。
戸定邸の完成後、昭武は“麝香間祗候(ジャコウノマシコウ)”という極めて位の高い人たちに与えられる役職に就きます。名誉なことではありますが、昭武は若くしてこの役職に就きましたが、明治になって彼が公の場で活躍することはありませんでした。
徳川慶喜は、30年間、静岡で静かに暮らし、そして名誉回復を遂げたのは明治31年。そこで、維新後、初めて明治天皇に拝謁しました。一度は死刑を宣告された立場にもかかわらず、明治35年には最高位の公爵をもらいます。その時のお祝いを、昭武は戸定邸で開いたのです。
そんな昭武は、明治43年、満年齢56歳で亡くなってしまいます。兄の慶喜よりも早く亡くなってしまったのです。
渋沢の人生のハイライトは昭武と共にパリ万博に赴いたこと。もしこの出来事が無かったら、渋沢の人生も、日本の経済発展も無かったかも知れません。
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