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十津川郷士⑥(禁裏へ)大和の歴史

2021年03月24日 17:14 by tama1

十津川郷士にとって失意の安政六年も過ぎ、明けて安政七年(1860)、この年は三月十八 日に「万延」と改元されますが、その直前の三月三日、またもや大事件が勃発しました。 有名な「桜田門外の変」ですね。

大老の井伊直弼が登城の途中、水戸の浪士らに襲われ、首をはねられるという、前代未聞 の大事件でした。 その結果、直弼の死によって強圧政治が終わるとともに、幕府の権威も低下して行かざ るを得なくなりました。尊攘激派の報復を恐れる幕府は、事態の打開を図るべく、公武 融和策として、皇女和宮降嫁を実現させますが、幕府はこのために十年以内に諸外国と の条約破棄と、攘夷のできもしない約束をしています。これが、後日、幕府の命取りに つながるのは周知の通りです。 一方、倒幕を目指す尊攘過激派にとって、皇女が将軍に嫁ぐなどは許すべからざること でした。安政の大獄の恨みも重なって、彼らは、和宮降嫁に尽力したり、大獄で直弼の 手先になったりした幕府よりの人物を次々に殺害する行動に出ました。 最初の目標にされたのが、関白の九条尚忠(ひさただ)と所司代酒井忠義(ただあき) でした。襲撃を計画したのは中山大納言家の元家士田中河内介や福岡藩の平野國臣、 岡藩の小河一敏ら有志で、それに薩摩藩の有馬新七ら過激派と吉田松陰門下の久坂 玄随ら長州藩の激派も同調。計画では、田中河内介ら浪士集団がまず九条関白家を襲う を合図に久坂らが所司代を襲い、成功すれば、天皇を擁して大坂城にこもり、倒幕の兵 を上げようというものでした。 志士らは計画に従って伏見の「寺田屋」に集結したが、その中に多数の薩摩藩士がいるの を知った島津久光が、使者を差し向け翻意を説得させるも、有馬新七らは聞かず、結局 上意討ちにされる、いわゆる「寺田屋事件」といわれる有名な事件により、関白と所司代 襲撃計画は不発に終わります。

集団による報復行動には失敗したものの、激派の報復は個別行動に姿を変え、むしろ それからが本番になったごとく、三ケ月後の文久二年七月、長野主膳と組んで安政大獄 を演出したといわれる九条関白家の家臣島田左近の暗殺を手始めに、本間精一郎、目明 し文吉、京都町奉行所の与力渡辺金三郎ら役人四人が石部宿で殺されるなど、暗殺の嵐 が吹き荒れたのは、どの史書にも取り上げられています。 こうした暗殺は、日常茶飯事となり、そのうち、「天誅」と称して無差別に人を斬り、金 品を奪う浪士まで現れるようになる始末で、所司代や町奉行所では手に負えず、幕府 では新たに京都守護職を設置、会津藩主松平容保に取り締まりを命ずるが効果はなく 京は激派浪士の荒れるが侭、無警察状態になったようです。 そんな中、文久三年江戸で募集された幕府の浪士組の一部が京に残り、後日、新選組に なったことはよく知られているところです。 さて、梅田雲浜の獄死に失望して十津川に帰った上平主税は、以来二年余り郷を動かず 元の医師に戻って病人を診たり、野崎主計や深瀬繁理ら同志と酒を酌み交わしながら時勢 を論じていました。それでも刻々と変化する京の情勢については、在京当時、付き合いの あった尊攘派志士たちが相次ぎ郷へやってきて、様々な情報をもたらしてくれたお陰で、 ほぼ正確にとらえていました。

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