2022年12月号 vol.62
「岡山城」 令和の大改修終え リニューアルオープン! 岡山のシンボル、岡山城が…
開国以来、薩摩藩と長州藩の攘夷運動が活発化しました。しかし、薩英戦争や下関戦争を経て、薩摩・長州は日本と諸外国の国力の差を思い知るのです。その後、薩摩・長州は海外の技術や武器を積極的に取り入れ、倒幕運動へと舵取りを変えて行くのです。
薩長両藩は武力倒幕の方針を固め、公家の岩倉具視の画策で「討幕の密勅」を手に入れました。しかし、これは朝廷も天皇も関係していない偽の勅書でした。そして徳川慶喜は翌日に大政奉還をしたのです。
大政奉還により幕府は消滅。倒幕の大義名分が消えたものの、政治自体は旧幕府時代のまま。薩長両藩はこれで納得はしません。薩摩藩は浪士隊を組織して江戸で挑発行為を始めたのです。強盗や略奪をくり返し、追われると薩摩藩邸に逃げ込み、あげくの果てに庄内藩の警備屯所に銃弾を撃ち込む始末。そして今度は庄内藩が主力になって反撃。江戸の薩摩藩邸の焼き討ちをしたのです。
その頃、徳川慶喜は大坂城にいて、穏便に政権移行を図ろうとしていました。ところが薩摩藩邸焼き討ちの知らせに一気に場が好戦気分になり、薩摩藩を討とうとする機運が高まったのです。そして旧幕府軍と、薩摩藩を中心とした新政府軍の戦争が避けられない状態となりました。
徳川慶喜は薩摩を討つため上洛を決意。慶応4年1月3日、幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に軍を進めたのです。大阪から淀川を上がって竹田街道の京橋で上陸した先遣隊に続き、幕府軍本隊が鳥羽街道と伏見街道に分かれての進軍でした。鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止しようとする官軍は、鴨川の南にかかる小枝橋で衝突するのです。
「将軍様が勅命で京に上がるのだから通せ」という幕府軍と、「勅命ありとは聞いていない、通せない」という新政府軍の押し問答が続き、幕府軍が強行突破しようとすると薩摩藩がア-ムストロング砲を発射、この砲声を合図に幕府軍15,000人と新政府軍6,000人の激しい戦いが始まるのです。
この地で起きた鳥羽伏見の戦いが戊辰戦争の始まりとなり、この戦火は北へ北へと飛び火して行ったのです。
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戊辰戦争研究会のご案内です。掲示板や論文コーナーがあります。会員募集中ですので、加入希望の方はホームページの「入会案内」をお読 みになって「メール」にてご応募ください。下記バナーをクリックで「戊辰戦争研究会ホームページ」が開きます。どうぞご活用ください。
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当マガジンはネットで見るマガジンです。 パソコンは勿論ですが、スマホ等のモバイル機器で見る事が出来ます。 このマガジンの閲覧統計を見ますと、約4割の方がモバイル機器で閲覧しておられます。 ザ・戊辰研マガジンでは下記のバナーを用意してあります。 ホームペ…
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