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自由人 星亮一 一片の悔いなし! 星 文彦

2023年03月14日 15:32 by minnycat
2023年03月14日 15:32 by minnycat

自由人 星亮一 一片の悔いなし!     星 文彦

 2021年12月31日大晦日の早朝、父星亮一が天に還りました。大好きなお風呂の中で、急性心筋梗塞で苦しみもせず、あっという間のことだったようです。 父は宮城県仙台市生まれ。岩手県立一関第一高を経て、東北大学文学部国史学科卒業。後に日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了しています。

 大学卒業後、福島民報社に入社。最初の赴任地の会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に携わっていたようです。昭和45年に、これからはテレビの時代だと思い立ち、福島中央テレビへ転職、プロデューサー、報道制作局長を歴任後、50代半ばに早期退職、専業作家に転身。以降約30年間の専業作家生活において、賞には縁がなかったものの、140冊程書籍を世に出し最後まで作家として人生を全うしました。

  先祖は仙台藩砲術師範であり、戊辰戦争にも参戦したこともあり、戊辰戦争は作家としての大きなテーマの一つでした。星亮一は、一言でいえば、「自由人」でした。家庭を顧みることはほとんどなく、男子厨房に入るべからず、とある意味潔いほど徹底していました。自分のやりたい事だけに終始していました。 サラリーマン時代は時代性もありますが、平日は仕事、夜は接待、そして休日は必ず猪苗代湖に趣味のヨット(ちなみに優雅なクルーザーではなく、スナイプ級と言われる二人乗りのレース艇です)に一心不乱に打ち込むという生活でした。小さいころに家族揃って旅行に行ったとか、勉強を見てもらった等の記憶は全くありません。今考えれば、よほどお袋が出来た、我慢強い人だったのかと思います。とは言え、家庭内では問題多発だったようです。 そんな家庭に育った息子は、父親、社会人というのは、それが当たり前だと思っていたため、かなりの影響を受け、後々大変に目に合うのですが(そういう当方も休日は剣道三昧、同じですね) 。お袋に「お前は父親の悪いところばかりそっくりだ」といつも言われてました。

 ヨットに関していえば、忘れられない思い出はいくつかあります。まずは「猪苗代湖遭難事件」。当時40歳前後だったと思いますが、天候の悪い日に、大会に向けて練習に励んでいた父達(2名)が夕方になっても岸に戻らず、警察・消防を挙げての大捜索を行ったにも関わらず発見できず遭難確定。テレビ・ラジオニュースにも報道され、お袋は「もうだめだ」と大パニック。その日の夜は修羅場でした。 翌朝、警察から発見されたとの連絡があり、自宅から猪苗代まで猛スピードで車を飛ばし(あまりのお袋の運転の荒さが怖かった記憶あり、現在ならあおり運転で検挙されます)、救助された父親と面会。非常にバツの悪そうな顔では「よう」といった父の姿は今も忘れません。 遭難時の状況としては、転覆したヨットに命綱で体を巻きつけ、夜半には天候も回復し、2人で月を見ながら、「俺たち発見されるかなぁ」と語りあっていたそうです。

 ちなみにこれでヨットも卒業かと思いきや、遭難事件を自慢しながらもその後20年近く続けていました。全国レベルの大会に出場、猪苗代湖国際ヨットレースを企画運営、県ヨット連盟会長も務めたと記憶しています。 国際ヨットレースの際には、当時大学生だった当方もアルバイトに駆りだされ、そこで知り合った女子大生との楽しい思い出は忘れられません。楽しい思い出のきっかけを設定してくれた父に感謝しております。ヨット仲間は比較的若い方が多く、年長者の父はお山の大将として楽しい時間(傍若無人説有り)を過ごしていたのかと思います。

 専業作家となった後は、創作意欲が増したのか、書かねばならぬという強迫観念からか、休日も執筆活動に打ち込むようになり、ヨットからは一線をひくようになりました。未だに実家に一艘朽ち果てたヨットが残っており、処分に苦慮しております。 テレビ局時代においても、プロデューサーの立場でありながら、自分自身がレポーター役等で番組に出ているという、タレント経費削減対策なのか、自分が出たいがための強権発動なのか、幼な心にも不思議に思ったことが多々ありました。 またこの時代から物書きを始め、仕事中にも執筆活動をしていたようです。いまなら不良社員、リストラの対象、いやダブルワークのはしりだったのかもしれません。自由奔放に会社員生活を送っていたと思われます。

 専業作家以降の活動、実績は皆さんのご承知のとおりかと思います。 父の亡くなる2週間程前に帰省し、話をした際にポツリと一言「やりつくしたよ」。この言葉を聞いたときに、ああ、そろそろなのかなぁと思い、言い表せない感情にとらわれました。とは言え終活をしたわけでもなく、あまりの突然の事であったため、各手続き関係、残務処理、残された施設入居中のお袋対応と悲しむ間もないまま現在に至っております。

 思い起こせば、父は家庭人としては落第ですが、一人の漢としてみれば、素晴らしい人生を全うすることができたのではないでしょうか。何事にも縛られず、自由奔放に自分のやりたい事だけを追求し、成すべき事を成したのちにさっと天に還っていきました。 まさに「自由人、一遍の悔いなし」の一生であったと思います。このような人生を送ることが出来たのは、周りの方々の多大なご協力があってこそだと思っております。 最後になりますが、関係各位の皆様に、生前のご厚情に厚く感謝申し上げます。 (ぱるす通信2022年12月・1月合併号所収)

 

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