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ザ・戊辰研マガジン

2022年12月号 vol.62

金戒光明寺~幕末・会津藩・新選組ウォーキングツアー(2022.12.3)

2022年12月05日 16:44 by tetsuo-kanome
2022年12月05日 16:44 by tetsuo-kanome

 会津藩が京都守護職を拝命した際に本陣をおいた金戒光明寺を初めて訪問しました。らくたびプレミアムガイドツアーの「幕末・会津藩・新選組ウォーキングツアー」にどうしても参加したかったためでした。金戒光明寺の中でも幕末・会津藩・新選組に所縁あるスポットをあてて、御影堂(みえいどう)~大方丈(おおほうじょう)~謁見の間~紫雲の庭~山門~会津墓地参道~会津墓地をガイド付きで巡ることができました。ガイド付きのツアーは、初めて企画されたそうです。

【金戒光明寺 御影堂(みえいどう)】

【大方丈(おおほうじょう)】

【大方丈~謁見の間】

 「謁見の間」では、当時まだ浪士組だった近藤勇と芹沢鴨が、会津藩主松平容保公に拝謁した場所。

【大方丈~虎の間】

 

【紫雲の庭の紅葉】

【金戒光明寺~山門】

【山門の楼上内部】

 山門の楼上内部は特別公開されており、山門の天井一面には「蟠龍図」が描かれ、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されており、楼上からは、京都市内一望の絶景を楽しむことができました。急な階段の上り下りは必死でした。

 会津藩は京都守護職として、この山門の楼上から御所と二条城も望むこともでき、京の都を守護するためにかかさず監視しておりました。

  ツアーを通じてガイドさんの解説が素晴らしく大変有意義な一日でした。ちなみに、虎の間は会津藩の上層部が寝泊まりしていたそうです。当時、松平容保公は、日頃どこに滞在していたか明らかにしておらず、なぜかというと長州藩等に命を狙われるためだったという説だそうです。ガイドさんの説明では、金戒光明寺の山門の楼上から見渡せるとおり、徳川幕府にとって、金戒光明寺と知恩院は、京都の要塞として利用していたそうです。

【五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏】

 この五劫思惟阿弥陀仏は、ガイドさんによると「私物」で、お寺のものではないそうです。

 私は、初めて金戒光明寺を訪問でしましたが、企画自体初めてのガイド付きツアーで、裏話もたくさん聞くことができて、素晴らしい一日を過ごすことができました。

【記者 鹿目 哲生】

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