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ザ・戊辰研マガジン

2022年11月号 vol.61

江戸の坂道(男坂・女坂)

2022年11月04日 17:29 by norippe
2022年11月04日 17:29 by norippe

 坂道には男と女の性別がついた坂がある。男坂や女坂というのは東京に限らず日本国中に数多くあり、大体は神社やお寺に続く坂に名付けられる事が多い。
 東京都八王子市の高尾山薬王院に続く坂道にも2本に分かれた男坂と女坂があり、神奈川県鎌倉市の瑞泉寺にも男坂と女坂がある。
 神社や寺はかつて修行の場でもあり、男坂は僧侶の修行の場とされた坂道である。しかし、後に一般の参拝客が訪れるようになると女性でも上れるなだらかな坂道をつくる神社や寺が増えた。そして、いつしか傾斜の違う2つの坂を「男坂」「女坂」と呼ぶようになったのである。

 男坂と女坂は上ると同じ場所にたどり着くことが多く、男坂は傾斜が急なのに対し、女坂は角度も緩やかで踊り場もあるのが特徴である。しかし、中にはこれとは反対に女坂のほうが急勾配の坂も希にある。



愛宕男坂


愛宕女坂

 東京都港区にある愛宕山。江戸時代から愛宕山は信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所であった。その愛宕山に男坂と女坂がある。
 愛宕男坂は、大鳥居の正面から山頂の愛宕神社へ急激に上がる石段の坂だ。86段、約30度の勾配を誇る最大級の急坂である。その右脇を上がるのが緩やかな女坂だが、それでも急勾配なので上るのは骨が折れる。
 愛宕男坂は「出世の石段」とも呼ばれる。これは、3代将軍家光が愛宕山の梅に目を留め、これを所望したところ、誰もが尻込みする中、讃岐丸亀藩の家臣・曲垣平九郎が馬で男坂を駆け上って梅を献上、「日本一の馬術の名人」と讃えられたという故事にちなむ。
 桜田門外の変で、水戸浪士たちはこの愛宕神社で戦勝を祈願後に井伊直弼大老を襲撃した。また、勝海舟が西郷隆盛を山上に誘い、江戸の街を見渡しながら会談、無血開城を実現させたともいわれている。
 この山は、歴史の転換期を見つめてきた。境内で、曲垣平九郎手折りの梅や鯉の泳ぐ池、咲き誇る桜などを堪能することが出来る。愛宕神社の横にはNHK放送博物館がある。



駿河台男坂


駿河台女坂

 アテネ・フランセを通り過ぎて、とちの木通りを進むと、 右側に猿楽通りへと下る急な石段の坂がある。それが女坂だ。後述する男坂に対応している。通常なら、男坂・女坂の名は神社に付属した坂につけられるが、二つの坂は神社とは関係なく、大正12年の関東大震災後の区画整理の際に造られた。
 女坂は緩やかな坂である。73段の男坂は一直線の急坂だが、82段の女坂は中途で2か所の踊り場があり、緩やかに感じられる。坂下の神田女学園への通学路にもなっていて、女坂のイメージにぴったりだ。
 男坂は急な坂である。神田女学園前の道に戻り、最初の曲がり角を左折すると、突き当たりに崖と見まちがうほどの直角的な石段の坂が現れる。それが男坂だ。



湯島天神男坂


湯島天神女坂

 東京都文京区にある湯島天満宮に続く「男坂」と「女坂」。この男坂は38段で正式な名前は天神石坂、別名は天神男坂である。すぐ脇には33段で男坂よりも緩やかな女坂がある。梅まつりの頃には男坂と女坂の間の白梅が咲きそろい、人の目を楽しませてくれる。



神田明神男坂


神田明神女坂

 また、神田明神の境内にある明神会館の脇から東に下る急な石段が明神男坂である。坂からの眺めがよいことから、江戸時代には毎年1月と7月の26日に月見が行われた。坂の脇にあった大銀杏は、当時の江戸湾を航行した漁船の目標になったという。この明神男坂から南側に明神女坂がある。


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