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ザ・戊辰研マガジン

2022年10月号 vol.60

ふたたび注目を浴びる「山県有朋」

2022年10月06日 14:58 by norippe
2022年10月06日 14:58 by norippe

 参院選の街頭演説中に銃撃され、67歳で死去した安倍晋三元首相の国葬が営まれた。友人代表として読まれた菅義偉前首相の弔辞は多くの人の心を動かしたようだ。そして弔辞を読み終えた菅氏に対して拍手がわいた。葬儀会場で弔辞に拍手がわくのは異例のことだ。
 結びで菅氏は、理不尽な形で安倍元首相を奪われた喪失感を、突然暗殺された伊藤博文を悼み、盟友の山県有朋が詠んだ歌を詠んだ。、山県の心情に重ねたのである。
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 衆議院第1会館1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊ありました。岡義武著『山県有朋』です。
 ここまで読んだという、最後のページは端を折ってありました。そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。
 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を 偲しのんで詠んだ歌でありました。
 総理、いまこの歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
 かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
 かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当にありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
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 明治42年10月、伊藤博文は訪露の途中、ハルビン駅で凶弾に倒れた。伊藤の死は、今年7月に遊説中に銃殺された安倍元首相の死と重なる。
 安倍氏が生前に読んでいた書籍「山県有朋」(岡義武著)が注目を集め、国葬後に書店への問い合わせが相次ぎ、書店の在庫はなくなり、版元の岩波書店は急きょ文庫版の重版を決めたのである。

「山県有朋」ふたたび注目を浴びたこの人物、一体どんな人物か。戊辰戦争を含む戦争の歴史を語る上では欠かせない人物であることは言うまでもない。



 山県有朋は天保9年に長州藩の蔵元附中間、山県三郎有稔の二男として生まれた。
 尊皇攘夷派の影響を受け、久坂玄端の紹介で松下村塾に入門、生涯師と仰ぎ続けた吉田松陰と出会った。
 文久3年に、上海に渡航した高杉晋作に代わって奇兵隊軍監として大いに活躍。元治元年の四国連合艦隊との交戦で負傷した際、武器と兵制の改革の必要性を痛感し、尊王攘夷論から開国論に転じた。
 慶応元年、長州藩の俗論派(佐幕派)と正義派(倒幕派)が激突した大田・絵堂の戦いでは、正義派に奇兵隊軍艦として参戦。長州藩藩論を倒幕へと決定づけたこの戦いの勝利に貢献した。
 明治元年の戊辰戦争には、奇兵隊を率いて北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として、長岡攻略戦に河井継之助らと戦う(苦戦)、後に会津攻略にも参加。
 明治2年渡欧し、各国の軍事制度を視察し、翌年帰国した後は暗殺された大村益次郎の遺志を継いで軍制改革を行い徴兵制を取り入れた。明治6年に陸軍卿となり、参謀本部の設置、軍人勅諭の制定に深く関わる。日本陸軍の実質的な建設者が山県有朋である。
 明治22年に第9代内閣総理大臣に就任。軍備拡張を進める。明治31年、第2次山縣内閣発足。参謀総長、枢密院議長なども務めている。
 伊藤博文なきあと、最大の発言力をもつ元老として軍や政界に重きをなし、首相選定の主導権を握る。晩年は陸軍のみならず政界の黒幕として君臨し、「日本軍閥の祖」の異名をとった。
 当時の国民、政治家、皇室からはことごとく不人気であったが、昭和天皇は軍人・山県有朋を評価している。
 大正11年、85歳で山県有朋は亡くなった。


 伊藤博文に山県有朋、安倍晋三に菅義偉、それぞれ二人の性格に違いがある。
 伊藤博文は新しいもの好きで豪放磊落でよく笑う。そして安倍晋三もどちらかというと陽なタイプ。
 山県有朋はうわついたことが嫌いな謹厳実直、寡黙な人だったようだ。そして菅義偉も寡黙でこちらは陰なタイプ。
 この二組の陰と陽。絶妙な組み合わせであった。

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