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2022年10月号 vol.60

源平合戦ゆかりの地巡り その1(京都)

2022年09月24日 18:15 by katsukaisyu
2022年09月24日 18:15 by katsukaisyu

源平合戦ゆかりの地巡り その1(京都)

 六波羅付近  2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝が亡くなり、鎌倉での宿老たち13人の抗争が激しくなってきました。本ブログでは、源平合戦で亡くなられた方々を偲んで、主に西日本での源氏・平家のゆかりの地を記していきたいと思います。

 まずは京都です。2024年のNHK大河ドラマは「光る君へ」で、紫式部の生涯を描くとのことですが、11世紀から12世紀にかけては、天皇の母方の祖父が実権を握る政治形態でした。その頂点にあったのが、紫式部が仕えた定子の父、藤原道長でした。その後、藤原氏の長が天皇の外祖父として政治の実権を握るということはなくなりました。

 12世紀、「平家物語」の時代は、引退した天皇の父、祖父が朝廷政治を動かすという父方優位の政治形態、院政へと移行していきました。ちなみに、その頃の内裏があったのは、平安京以来の「右京」地域です(現、京都市の西側、二条城の近く)。現在の京都御苑ではありません(「左京」地域)。

 794年の平安京遷都では、大阪側に近い長岡京から、京都市西側の右京(天皇は北に居て、南面するので、天皇から見て右手側)へ都が移転しました。しかし、右京は土地が低く、堀川が洪水をおこすと、なかなか水が引かないということがありました。鎌倉期に内裏で火事が起こり、朝廷そのものが、より東側の「左京」の方へ移って再建され、現在に至ります。現御所の建物は、幕末の安政期の火災後の再建です。

 従って、平安期に書かれた「源氏物語」「平家物語」時代の内裏の場所は右京になります。この2作品、源平ですが、物語の性格は全く違うというのは、ご存じの通りです。学生の頃、筆者は「平家物語」を先に読んで、同種の話だろうと「源氏物語」を読みだしたら、全然違うので、驚きました。今回の記事は「平家物語」に関わる方です。    次号に続く 

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