第104回全国高校野球選手権大会で、仙台育英学園高校は東北勢として初めて甲子園の頂点に立った。
準決勝では強豪校を次々に破ってきた福島の聖光学院との戦いであったが、これに大差で勝利。そしていよいよ決勝戦。
東北勢の決勝戦進出は春夏合わせて過去に12回あり、いずれも僅差で涙を飲んでの敗退であった。
そして迎えた13回目の決勝戦。相手は山口の下関国際。
長州対奥州の戦い。なんだか因縁の対決のような気もする。
過去に3回、決勝戦を経験している仙台育英であるが、今度こそ宮城県そして東北勢としての悲願を達成したいところである。応援席で応援する仲間たち、そしてテレビで見守る東北の人々の熱い視線がこの一戦に注がれた。
仙台育英の須江監督は福島の新聞の一面に書かれていた文字に活力を得たと言う。
「福島は負けたけど福島の夏はまだ終わっていない」
準決勝で福島の聖光学院は仙台育英に負けてしまったが、東北勢として仙台育英がいる。
優勝旗が東北に来る可能性はまだ残っている。「頑張れ仙台育英!」といったエールの言葉が福島の新聞を通して東北の思いが須江監督に伝わったのだ。
そして仙台育英は見事優勝。
新幹線で帰路についたメンバーたちは、東北の玄関口とされる「白河の関」(福島県白河市)付近を通過するのに合わせて、深紅の大優勝旗を広げて待機。長年の悲願がかなった瞬間には、「いま、白河の関、越えました!」などと喜びを分かち合った。
戊辰戦争時に新政府軍が東北を蔑視して使ったとされる「白河以北一山百文」という言葉がある。白河より北は山ひとつが百文くらいのクズな地域だ。という意味である。
高校野球史で優勝旗が「白河の関」を越えたことがないと聞くたびに、この「白河以北一山百文」を思い出す。
しかし、この高校野球で見てみれば、力の差より、運に左右された面が多々ある。
1915年夏の第1回大会決勝で秋田中が京都二中に延長十三回にサヨナラ負け。
1969年決勝では太田投手を擁した青森の三沢が愛媛の松山商との延長18回の激闘の末、引き分け再試合でおしくも涙をのんだ。
1970年には福島の磐城高校が「小さな大投手」と呼ばれた田村投手の力投むなしく大会唯一の1失点で優勝を逃した。
その後、仙台育英、東北高校、花巻東、光星学院、金足農業といずれも決勝まで進んだが、深紅の優勝旗を持ち帰ることが出来なかった。
そして2022年夏、念願の優勝旗を仙台育英が掴み取ってくれたのである。
決勝戦が終わって、優勝校監督のインタビューでは須江監督の心を打つ挨拶があった。
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宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます!
100年、開かなかった扉が開いたので、多くの人の顔が浮かびました。
準決勝、勝った段階で、本当に東北や宮城のみなさんからたくさんのメッセージをいただいて、本当に熱い思いを感じていたので、それに応えられて何よりです。
前半は下関国際の古賀君もすごい良いピッチングをしてたので、焦りはありませんでしたけど、本当に翻弄されている感じでした。でもここまで、宮城大会の1回戦から培ってきた、今年の選手のできること、自分たちが何をやってきたのか、本当に立ち返って、選手自身がよくやってくれたと思います。
今日は本当に斎藤がよく投げてくれて。でも県大会は投げられない中でみんなでつないできて、最後に投げた高橋も、今日投げなかった3人のピッチャーも、スタンドにいる控えのピッチャーも、みんながつないだ継投だと思います。
今年の3年生は入学した時から、新型コロナウイルスの感染に翻弄されてきました。入学どころか、たぶんおそらく中学校の卒業式もちゃんとできなくて。高校生活っていうのは、僕たち大人が過ごしてきた高校生活とは全く違うんです。青春って、すごく密なので。でもそういうことは全部ダメだ、ダメだと言われて。活動してても、どこかでストップがかかって、どこかでいつも止まってしまうような苦しい中で。でも本当にあきらめないでやってくれたこと、でもそれをさせてくれたのは僕たちだけじゃなくて、全国の高校生のみんなが本当にやってくれて。
例えば、今日の下関国際さんもそうですけど、大阪桐蔭さんとか、そういう目標になるチームがあったから、どんなときでも、あきらめないで暗い中でも走っていけたので。本当に、すべての高校生の努力のたまものが、ただただ最後、僕たちがここに立ったというだけなので、ぜひ全国の高校生に拍手してもらえたらなと思います。
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目に涙を浮かべての須江監督のインタビューであったが、応援席、そしてテレビの前で応援していた東北の人々も涙を浮かべて聞き入っていたのではないだろうか。
「白河の関」の呪が解けた東北勢の今後は、さらなる飛躍が期待されることだろう。
仙台育英の皆さん、東北の皆さん、本当におめでとうございました。
次は「勿来の関」を越えることを願う筆者であります。
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