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【幕末維新折々の記・三十二】京都・将軍塚の大舞台

2022年07月24日 13:24 by tange
2022年07月24日 13:24 by tange

 先祖の残した三つの手記、回想記「光子」、「騒擾日記」、「小野権之丞日記」が手元に揃った平成20年(2008)から始まる「私の先祖探しの旅」は、終わりに近づいていた。
 私は京都東山・将軍塚の大舞台に立った。晴れた冬の末、まだ厳しい寒さのなか空気は澄み渡り、遠くまで景色がはっきりと望める。
 この大舞台は、天台宗門跡寺院である青蓮院の別院清龍殿に付属し、清水寺の舞台より遙かに高い標高約200mに在り、そこからは四条通より北側を一望できる。


京都東山・将軍塚の大舞台からの眺望

 旅の最初に訪れた黒谷・金戒光明寺の小高い山を見つける。
 文久2年(1862)、京都守護職を拝命した会津藩主・松平容保の本陣となった寺院だ。その境内にいた僧侶から、「会津藩は、蛤御門の変で京の町を焼き尽くすような狼藉を働いたため、今でも京都では大変に評判が悪い」と聞かされ、赤面して山から駆け降りたのを懐かしく思い出す。
 
 黒谷から少し西へ目を移すと、京都大学薬学部キャンパスが捉えられる。
 そこは会津藩の練兵場だった地で、西洋式の兵術訓練を実施していた。その一画で川端通沿いに、京都大学東南アジア研究センター(稲盛財団記念館)がある。受付で、「この地を会津藩が占めていたことを示す石碑などありませんか?」と声を掛けた。黒谷の僧侶から受けたトラウマからか、私は恐る恐る尋ねる。ところが受付嬢は、笑みを浮かべ直ぐに立ち上がり、敷地の北西角で小さな石碑が二つ立つ場所へ案内してくれた。
 石碑は、二代知事・槇村正道が開設した牧畜場の跡を示すものだった。つまり、練兵場だったので建造物などの少ない広大な未使用地が残り、槇村が明治初頭、我が国ではまだ珍しかった牧畜場を開いたのだ。
 高祖父・鈴木丹下も軍事訓練を受けた会津藩の痕跡が見つけられ嬉しかったとともに、京都女性の思いがけない親切のおかげで、先に受けたトラウマから少し逃れられたような気がした。
 
 京都の緑の都市軸である鴨川が、賀茂川と高野川に分かれてYの字に見えている。
 その西側で矩形に拡がる緑地が、京都御所と周りの御苑だ。私はこれまでに、四季折々の京都御苑を訪れていた。開花、新緑、紅葉、積雪、いずれも見事な景観だった。
 ある時、「八月十八日の政変」に御所警備に就いた高祖父の残した手記の記述と全く同じ行程で、九門を出たり入ったりしながら御苑を一周もしてみた。高祖父の偵察は一時間ほどで済んでいたが、私は二時間余りも掛かってしまった。ただ、160年前と同じように歩き、その時の緊迫した状況を少し感じ取ることができた。

 守護職上屋敷跡である京都府庁舎界隈が、御苑の西に望まれる。
 旧府庁本館の地を訪ねたが、正門を入った直ぐのところに「京都守護職屋敷」とだけ刻まれた小さな石碑がひっそりと立っているだけで、会津藩を示すものはどこにも無かった。失望してそこを立ち去ろうとしたが、守衛所で都草の存在を教えられた。
 旧本館の2階に知事室が原形保存され公開されている。その隣室に事務所を構える都草は、京都検定試験で京都通と認定された人々が設立したNPO法人だ。私はそれ以降、都草を度々訪ね、幕末の京都について多くを学ぶことになるのだ。
 文久3年(1863)8月18日に起きた政変の時、高祖父がそこから出陣した会津藩鞍馬口屋敷も、都草に保管されていた古地図で確認することができた。

 御苑の北に相国寺の緑が小さく見えている。
 その緑を越えた辺りに、会津藩士が起居した鞍馬口屋敷は在った。それは、彦根藩邸を丸々借り受けた広大な屋敷だった。
 会津藩屋敷の存在証拠を探し、何度も周辺を歩き廻り、聞き込みもしたが一片の痕跡も見つからなかった。ただ、そのおかげで、永い間幻と言われ、最近その位置や広がりが特定された御花畑(近衛家別邸)跡に出会うことになる。そこは、幕末維新史を転回させる薩長同盟の密約が結ばれたところだ。
 
 将軍塚の大舞台からは、京都御所を中心として東に黒谷の本陣、西に守護職上屋敷、北に鞍馬口屋敷と、天皇を確かにお守りした会津藩の全ての拠点が望まれる。御所の南には新選組が屯所を構えたが、ここからは見えていない。
 大舞台に一人立つ私は、旅愁に浸りながら周囲の景色を眺め続ける。夕暮れが迫っていた。しかし、もう少しここに留まりたいと思った。
 太陽が遠く連なる西山の向こうへ沈む瞬間、灯りを残して街も、川も、山も、全てがシルエットになり、空は朱に染まる。私は、先祖探しの旅の終わりに、その光景を見届けようとしていた。
鈴木晋(丹下)


 来月からは、【都内の史跡を巡る小さな旅】の連載です。
 次号、「思案橋事件と日本橋魚市場」

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