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裏磐梯を蘇らせた男 遠藤現夢(後編)

2022年07月06日 09:17 by norippe
2022年07月06日 09:17 by norippe

 遠藤現夢が43歳となった明治40年、鶴ケ城跡地の整備は一段落した。米作りや植樹、鯉の養殖などの事業は順調に進んだので、今度は裏磐梯の桧原川の水流調査に出かけ、そこで水力発電に興味を持ったという。
 当時、喜多方水力電気株式会社、会津電力株式会社が水力発電事業を始めていた。これらは渋沢栄一の影響による事業であった。


裏磐梯

 現夢は喜多方市で酒造業を営む矢部長吉の長男・善四郎と出会い、そして善四郎が裏磐梯の荒蕪地に緑を復活させようとしていることを知った。

 3年後、普四郎が現夢に助けを求めてきた。普四郎の父の長吉は植林事業に全財産をつぎ込み、家業の酒造業は倒産してしまった。普四郎は父の後を継いだが、金策に行き詰まり、事業を断念した。そして現夢に後を引き受けてもらいたいと助けを求めてきたのだ。そして現夢は官地払い下げ地の権利を善四郎から譲り受けて、植林事業に乗り出す決心をした。

 しかし、現夢よりも、更には善四郎の父の長吉よりも先に植林計画を手掛けていた人物がいた。裏磐梯で「上ノ湯」「中ノ湯」「下ノ湯」の湯治場で湯守をしていた白井徳次である。
 白井は噴火直後、被災地を歩き回り被災状況を記録した。そして10年間で42万本の松を植える植林計画を県に提出して許可を得ている。だが白井は樹種の選定や植林方法などが適切でなかったため事業に失敗。

 現夢は、これらの失敗を学び、本格的な植林事業の前に、苗木や資材を運搬するための作業道路を造った。運送業の経験がある現夢は物資運搬道の重要性を知っていた。そして人夫たちが宿泊できる紅柳館を建てた。

 運搬道の作業中、狩猟に来ていた林学博士の中村弥六と偶然巡り合ったという。中村博士は信州・高遠藩の出身。日本で第1号の林学博士となった帝国大学の教授である。
 火山の荒蕪地に緑を復活させたいという現夢の熱意に感動した中村は、現夢は次のような重要な助言を与えた。「荒蕪地にはアカマツが良い」「水の近くなら杉も育つ」「植林後の水やりを怠らない事」「定植前に仮植して土質に慣らす事」。そして中村は3年間も紅柳館に泊まり熱心に指導した。


逮藤現夢が建立した磐梯山噴火罹災者の慰霊碑。近くに現夢の「大岩の墓」がある


 遠藤現夢は中村弥六博士の指導を受けて植林事業をする中で「裏磐梯」という名前を付けた。「北塩原村史」に「名付け親」として記されている。
 埼玉の安行から15万本、新潟からアカマツの他、スギ1万本、ウルシ2万本、モミジ300本を買い付けした。猪苗代駅までは汽車で、駅から裏磐梯までは馬車で運び、紅柳館の脇の柳沼畔に仮植した。一日10人くらい人数で定植作業を進めた。
 そして植林を志してから10年をかけ、契約地の植林を完了させ責任を果たしたのである。

 大正8年、「植林成功届」と「官有地払下許可願」を県宛として耶麻郡役所に提出したが県からの音沙汰がなく、催促状も提出したが返事がない。
 東京の中村博士に事情を打ち明けた。中村博士は時の首相である原敬と友人関係にあり、博士の話を聞いた原敬首相は、すぐに福島県知事宛の「添書」を書いてくれた。これによって、現夢は官有地の払い下げを受け、59万7千円の巨費を支払い、1990町歩を得た。

 現夢は、いろいろと世話になった中村弥六博士に土地を寄贈しようとしたが、受け取らないため、その土地にある沼に「弥六沼」という名前を付けた。そして松平家から授かった「手水鉢」一対を贈ると、片方だけ受け取った。もう片方は後日、息子の義之助が若松市に寄付し、現在は鶴ケ城本丸跡に設置されている。
 その後、現夢は同志五人と共に温泉保養施設を造る事業に着手した。地熟利用の人工温泉として全国初のものである。

 しかし、技術が未熟で、これは磐梯施業森林組合の規約に違反するとして、県が許可しなかった。現夢は責任を問われ、理事の辞任に追い込まれた。多額の借金を抱え、裏磐梯まで鉄道を敷く夢も破れ、失意の中で昭和10年12月6日、波乱万丈の生涯を閉じた。享年73歳。
 現夢の遺骨は息子の義之助により、会津若松の天寧寺に葬られた。そして、爪と週髪は現夢の遺志により、生前に選定して準備しておいた五色沼自然探勝路の柳沼の近くにある「遠藤現夢墓」に埋葬された。遠藤現夢は、噴火の爆発で飛来した裏磐梯随一の巨岩の根元で眠っている。


逮藤現夢の墓「大岩の墓」


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