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ザ・戊辰研マガジン

2022年06月号 vol.56

神々しいオードリー・ヘップバーン

2022年05月16日 10:33 by tetsuo-kanome
2022年05月16日 10:33 by tetsuo-kanome

 銀幕の大スターオードリー・ヘップバーンは、誰もがご存知だと思います。映画「ローマの休日」や「マイ・フェア・レディ」のオードリーは、気品があって素晴らしい美しさです。

映画スターのオードリーの写真と、ユニセス親善大使で活躍中の年輪を重ねたオードリーの写真をご覧ください。

 私は、オードリーの晩年のユニセフ親善大使として途上国諸国を巡り、飢えと貧困に苦しむ子供たちに愛を注ぐオードリーの姿が大好きです。まさに“神々しい姿”です。オードリーの晩年の活動を一人でも多くの方に知って頂きたいと思います。

【ユニセフ親善大使として世界中の子供たちに愛を注ぐオードリー】

 オードリー・ヘップバーンは、1929年5月4日、ベルギーに生まれ、多感な少女時代は第二次世界大戦の真っ只中、ナチス占領下のオランダで食料もなくやせ細って栄養失調に苦しみ、家は破壊され、地下室や牢獄のような環境での生活を強いられていた。まさに、現在のウクライナのようだったことでしょう。さらに、父は家族を捨てて両親は離婚。悲しみと孤独を抱え、過酷な日々をからくも生き延びた。 オードリーが当時を振り返り「ナチス親衛隊に直接支配され、誰もが口をつぐみ、身を隠して自由に話せず、ラジオも聴けない牢獄のような環境で私は育った」と話す場面も。「オランダ解放のあと赤十字とユニセフが来て廃屋に物資を運び込んだのを覚えてる。食糧や衣類や薬をね。戦争が終わった時私は重度の栄養失調だった。食べ物の価値は知ってるわ。私の人生はその頃の記憶で形作られてる。子どもの頃にこちら側の人生を知った。あの苦しみと貧しさは今も心に残っている」とオードリー自身がユニセフの助けを借りて生き延びていたことが明かされる。この経験は、晩年、ユニセフ親善大使として活動するオードリーに多大な影響を与えることになった。

 映画デビュー作『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞を受賞して以降、数々の名作に出演。銀幕の妖精として今なお世界中から愛される大スターとして世界へ羽ばたいたオードリー。しかし辛い幼少期を過ごした彼女が求めたのは、スターとしての成功ではなく、暖かい家庭を築くことだった。愛する家族とともに穏やかな生活を送ることを望んだ彼女は、一度は女優業の第一線から距離を置くことになりました。

【映画「ローマの休日」】

【映画「マイ・フェア・レディ」】

 

【映画「ティファニーで朝食を」】

 オードリーは、1989年3月9日、ユニセフ親善大使就任しました。多くのメディアに露出し、世界中を飛び回って戦争と悪政の犠牲となった子どもたちのもとへ駆けつけた。世界中の誰もが知る「オードリー・ヘプバーン」という名前を武器に、自分が表に出ることで飢えた子どもたちに世界の目が向けば本望と考え、ありったけの愛情を子どもたちに注いでいった。ユニセフ親善大使の活動についてオードリーは「あの苦しい時代が教えてくれた一番大切なことは、どんな悲惨な状況でも人は助け合えるということ。悲惨であればあるほど互いが必要になるの。女優という仕事が私に特別なものをくれたとしたら、この声を残してくれたこと。今も私に興味を持つ人が子どもたちのために役立てることができる」と話していた。その言葉どおり、彼女は残りの人生のすべてを子どもたちのために費やし、その惨状を世界に発信することを自らの使命とした。その姿を世界に届けることで“愛すること”の大切さを世界へと投げかけたのだ。 オードリーは、「わたしは、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか、はっきり証言できます。なぜって、私自身が第二次世界大戦の直後に、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だったのですから」とコメントを残しております。 オードリーは、アフリカのソマリアやスーダン、南米、アジアなど世界十数ヶ国をめぐり、子どもたち悲惨な状況を訴えるため、自らの名声を惜しみなく使い、ユニセフの広告塔として力を尽くした。苛酷な状況も省みず、子どもたちに笑顔を届け続けました。オードリーがPRするたびに100万ドル以上の寄付がよせられ、彼女が活動した4年間で団体の規模は倍になったという。1992年の終わりにはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。しかし、この大統領自由勲章受勲から1ヶ月後の1993年1月20日、スイスの自宅でがんのために亡くなった。63歳でした。

 2022年5月6日、ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘップバーン』が全国公開されました。テレビ各局でもこの映画が紹介され、オードリー・ヘップバーンが再び注目されております。私は、もちろん、オードリーの映画を観に行きました。銀幕の大スターのオードリーも大好きですが、私は晩年のユニセス親善大使としてのオードリーは尊敬に値すると思いますし、本当に頭が下がります。オードリーが、アフリカや南米、アジアの貧困と飢えに苦しむ子供たちを抱きしめる姿は、感動的であり偉大です。“神々しい”と言っても過言ではありません。

【記者 鹿目 哲生】

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