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 いろいろ感想 「青天を衝け 32・33回」

2022年05月16日 15:23 by katsukaisyu

青天を衝け 32・33回 いろいろ感想 栄一、民間へ

 栄一は官僚を辞めて、民活に励むことになりました。何でも、近年研究が進み、江戸期に「士農工商」という同時代資料はなく、「士」と「それ以外」だったと改められたとのことです。教科書の記述も変わったようで、歴史の教科書が変わるものだと思った次第です。農工商の間に格差は無かったようですが、支配階級である士と、それ以外の人々との身分格差は明治になっても大きかったことと思います。

 大阪証券取引所が開設された際の設立名簿の筆頭は、薩摩藩士族五代友厚です。他は元、大坂の大商人たちで、東京証券取引所の名簿も見たことはありませんが、多分、筆頭は東京士族渋沢栄一でしょう。

 栄一は実業界に西洋流を取り入れようとしました。西洋の簿記は近代的でしょうが、筆算と算盤では、絶対に算盤の勝ちです。算盤は数字を書かなくてもいいですし、「伝票」という種目だと、片手で伝票をめくりながら、もう一方で算盤を入れるので、一人でやっても、算盤の勝ちです。計算機が世に出てきて、初めて、算盤より上だと思いました。

 東京へ出張してきた五代と、銀行を始めた栄一の会話はおもしろかったです。「もっと早く民間へ来るかと思っていたが」と、五代。栄一は「あなたの変わり身が早すぎるのだ」と。五代から栄一へのアドバイスは「商いには、ばけもん、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)している」とのことです。これから、武士の戦いとは別の意味での戦いが始まります。志を同じくする五代と栄一は盟友になりそうです。

 岩倉は暗殺未遂に合い、不平士族の反乱が続き、台湾出兵と政治情勢は暗雲が立ち込めてきました。岩崎弥太郎は政商への道を走っていますね。

 青天を衝け紀行で、第一国立銀行跡や旧渋沢邸跡、東京証券取引所など、日本経済の中心地が出てきました。初めてロンドンへ行った際に、ホテルのテレビでBBCのニュース番組を眺めていたら、さっぱり意味不明な文字列の中に、読める字をみつけました。それが、”Nikkei”の文字で、そう、「日経」ですね。遠く離れたロンドンで、毎日、その日の日経平均がいくらと報道しているのだと知りました。その頃、日本の経済力にさっぱり興味のなかった筆者にとっては、新鮮な驚きでした。

 政府の都合で倒産した小野組、「せっかく、御一新を乗り越えて、ここまで来たのに」とは、小野組頭取の悲痛な叫びでした。確かに、三井財閥、三菱財閥は存在しますが、小野財閥はないです。栄一は「家を富ますためなら、自分も岩崎に負けないが」と語っていました。栄一の志は家の繁栄よりも、あくまで、日本の経済成長のための「合本」の発展です。資本主義を日本に根付かすことが、日本経済、また、日本が独立を保って、世界の資本主義社会の中へ船出していくためには必要なことでした。

 大阪の五代邸で、大久保と五代が囲碁を打つ場面が登場しました。「大久保利通日記」には、五代と碁をしばしば打っていたことが記されています。明治6年、東京へ出張してきた五代が大久保邸を訪れて碁、五代が来ないときは大久保が五代の宿舎を訪ねて碁・・で、2週間ほどの出張中、10日は二人で碁を打っていました。大久保の日記は、何日何時に誰が訪ねて来たなどとは記されていますが、何を話したかまでは記してくれず・・です。会話の中身が知りたいものだとかねてから思っていましたが、大森美香さんがドラマ化してくださいました。

 五代邸は、当時は北靭(うつぼ)通(現、大阪市西区)にありました。明治8年、三権分立・憲法制定・国会開設などの、その後の日本の行く末を話し合った大阪会議の折には、大久保は五代邸に3カ月ほど居候していたとのことです。さぞや毎晩、碁を打っていたことでしょう。幕末期、大久保は鹿児島と京都、五代は長崎にもっぱら居ますので、両人が碁を打つようになったのは、五代が徴士として、大坂に呼ばれて来てからだと思います。

  西南戦争(当時は鹿児島賊徒の乱と呼ばれていました)では、国の年間予算が4800万円のところ、戦費が4200万円だったとドラマに登場しました。この戦費の数字が出てくるのは、日本史上、初めてのことでしょう。西南戦争では、戦後の復興計画も作られて、政府軍が西郷軍と交戦するために町を焼いた熊本城下では、まず、民家から復興が始まったとのことです。当然、復興予算も付けられ、戦費計上に復興計画と、日本の戦争も近代的になってきました。

  明治11年には大久保が暗殺されて、五代が一人寂しく碁盤に座る姿が描かれました。朝ドラ「あさが来た」では、五代さん、大久保暗殺の報に号泣していましたっけ。木戸、西郷、大久保の死で、明治も新たな時代を迎えました。

 造幣局の続きです。写真は開設当時、五代と由利公正が香港から輸入した鋳造用の機械です。当地は空襲が無かったことから、明治4年の物が残されています。

 こちらは明治4年製造のガス灯です。蝋燭の火しかなかった時代に、さぞや、不思議な灯だったことでしょう。

 造幣局博物館に展示されている、開業に功績のあった人々のレリーフです。伊藤、井上、由利、五代、グラバー・・と並んでいます。

 同じく、造幣局博物館に展示されている慶長大判です。豊臣秀吉が造らせた大判金貨ですが、流通させるためというよりは、贈答品だったそうです。 11月1日から新500円玉が流通したようですが、もちろん、新500円玉を鋳造するのもここ造幣局です。ただ、2色の新500円玉、手元には参りません。いつ、見られるものやら・・・。

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