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ザ・戊辰研マガジン

2022年06月号 vol.56

ヤマトの歴史 十津川郷士⑩(御親兵多難-天誅組退去)その3

2022年05月14日 17:30 by tama1
2022年05月14日 17:30 by tama1

 十津川郷は天誅組隊士の二倍を超す郷民を見送りに差し向けています。 このことは、天誅組が完全に郷外へ退去するか否かを見届ける必要があったためも あろうが、それにしても手厚すぎる壮行である。

 朝廷の命とはいえ、心ならずも追い出 さねばならなかった、かつての同志に対して、主税らの示した、せめてもの心遣いだっ たのだろうか・・「十津川草莽記」 かくて、天誅組は郷から去ったものの、主税たちの心労は簡単には去らなかった。

 天誅組の代わりに、追討軍がつぎつぎ郷ヘ進行してきたからでした。 先鋒の藤堂勢が長殿村に入ってきた報を受けた主税は、すぐ長殿へ駆けつけ、藤堂勢の 主将藤堂新七郎に会って、天誅組との交渉次第を説明し、天誅組はもう追い出したから 、郷内での討伐戦は必要ない。これ以上郷内へは立ち入らないでほしい。と進軍停止を 求めたが、新七郎はこれを拒否した。 われわれは勅命によって出動している。京から正式な停止命令がないかぎり、進撃を 止めることは出来ない。

 それに十津川郷は壮丁を挙げて天誅組に加担し、京では朝敵 とみなされている。 偽勅と知って離脱したとも聞くが、事実をこの目で確認しない限り容疑は晴れない。と 藤堂は言い、一歩も引く気配を見せなかったとあります。

 そのうち、長殿村には第二陣の彦根藩、第三陣の郡山藩兵が入ってき、郷の西部、 神納川筋からは和歌山藩兵がつぎつぎと進行してきました。 特に和歌山、彦根両藩の兵には博徒やならず者も混じっていたらしく、郷に入るなり、 わがもの顔の乱暴狼藉をはじめたという。 西田正俊著「十津川郷」には「家財を強奪し、農作物を損傷し、天誅組に与せし怨みに 報ゆとて、山天村、泉谷某の家屋に放火し云々」とあります。

 両藩はそれだけでなく、郷兵の天誅組参加に指導的役割を果たした幹部の逮捕も始め、 丸山兵庫、丸谷志津馬、田中主馬蔵ら十数人があっという間に逮捕されました。 そんな中で、ついに悲劇が起こりました! 郷総代の一人、野崎主計の割腹でした。 野崎については、これまで何度となく登場していますが、野崎は川津村の庄司で、主税 や丸田藤左衛門と並ぶ郷の総代でした。

 主税と丸田が禁裏御守衛で京へ出たあと、一人 留守居役をしていたが、その最中に吉村寅太郎が現れ、郷兵の動員を要求した。

 「勅命」という吉村の言を正面から信じた野崎は、すぐ檄をとばして千二百名を超す郷兵 を動員、自ら引率して天誅組に加わったのでした。

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